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ある「言葉」によって何気ない日常のひとこまが愛おしく思えた話

無機質な携帯のアラーム音で朝を迎える平日とは違い、休日はたいてい息子の「ママ、起きて~!」の声で目を覚ます。優しく甘えるような声で私の名を呼ぶことはごく稀で、だいたいの場合、音量MAXといわんばかりの大声で「パパ、ママ、朝だよ!早く起きて!」と繰り返す。

保育園の日は起こしてもなかなか起きないくせに、休日に限って早起きなのだ。子どもが3歳を過ぎた頃から、金曜日の夜は少し夜更かしをして自分の時間を楽しむようになった私たち。正直、朝7時前に子ども“起きてコール”、私たちどちらかが体を起こすまで決して鳴りやまない“最強アラーム”が発動すると、「勘弁してくれ~」と思ってしまう。毎度のことながら、「お願いだから、もう少し寝かせて」と粘り、ときには苛立ってしまうことさえもある。

でも、昨日、西加奈子さんのエッセイに綴られていたこの言葉を読んで、なんだか妙に納得してしまった。

「もっと寝てたらいいやん!」と思う。「ペース配分間違ってるで!」とも。だけど、子どもを見ていると、なんだか納得してしまう。
生きていることが、とにかく楽しそうなのだ。
目が覚めて、一日が始まるのがうれしくて仕方がなさそうなのだ。
目が覚めた瞬間から笑っているときもあるし、船をこいでいるのに眠るまいと努力しながら遊んでいるときもある。大人だったら睡眠が一番大切、とか、なんだったら現実のことを考えたくないから寝ようっと、ということもあるけれど、子どもにはない。全くない。
一分一秒でも起きていたい。
この世界で起きることを見逃したくない。
それって単純にものすごく羨ましいし、まぶしい。

とあるひととき「間違いなく朝は」より

あ~完全に忘れていた感覚だなと思った。と同時に、夜は目をこすりながらも「まだ、遊びたい!」と毎日のように訴え、週末の朝はものすごいテンションで飛び起きる息子が愛おしく思えた。

今朝も、もちろん7時前に息子のモーニングコールは発動されたけれど、いつになく穏やかな気持ちで「おはよう」と彼に笑顔を向けることができた。いつまで続くかわからない、この尊い時間を大切にしたい。そう感じた朝であった。

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