子どもの運動会で大転倒 失敗を成長の糧に
先日、約20年ぶりにケガらしいケガをしてしまった。
こともあろうに、息子の運動会で・・・だ。
コロナ禍で乳児クラスの行事はことごとく中止になっていたので、まさに3年ぶりの運動会。子どもたちも嬉しそうで、普段は登園時に泣いている子も、ニコニコ笑顔で両親に手を振りながら先生のもとへ駆けていく。そんな光景は、朝から私の心を温めてくれた。
いざ競技が始まると、表情をキュッと引き締める子もいれば、嬉々として観客を見つめる子、逆に恥ずかしそうにうつむいている子や泣き出してしまう子も。3歳児クラスなので、各々が自分のペースで好きなようにやっていて、先生方もそれを見守る。入場行進ひとつとっても、それぞれ個性が合っていいな~と、また心が和らぐ。
息子はというと、とにかく“勝ち”にこだわる性格なので、朝から人差し指を立て「No.1」のポージング。お遊戯ではセンターできっちりと踊りこなし、闘志むき出しでのぞんだかけっこでも、思い描いていた通りの結果に満足げな様子だった。
そして、いよいよ最後の競技「親子で忍者修行」。親子4組ずつで障害物競走だ。「よ~いドン!」の合図でいっせいに駆け出す子どもたち。網をくぐり抜けてきた息子と手をつないで走り、跳び箱によじ登ってジャンプする彼をキャッチ。抱っこのままトラック1/4ほどを駆け抜け、玉入れの籠にセットされた巻物を手に。
この時点で私たちは3位。でも、他の2組もまだ隣で巻物を広げようとしている。よし、ここで逆転だ。はやる気持ちを抑えながら、お題の書かれた紙に目を落とすと、なんとそこには「キリン」の文字が。
「え~キリン!?」と心の中で叫ぶ。事前の説明では、「キリンが出たら子どもを肩車」と言っていた。他のお題なら何とかこなせそうだったけど、よりによってキリン・・・そう、私は息子を肩車できない。というか、怖くてしたことがない。いちかばちかで子どもをひょいっと持ち上げて肩の上に乗せる。なんて、そんな危険なことはできない。ええい、考えている暇はない。私はできるだけ高い位置で息子を背負って、走り始めた。
1歩、2歩、3歩・・・あれ?あれ?何だが重心がどんどん前になってきて、地面が近づいてくる・・・やばい!と思ったときには、息子を背負ったままゴールを目前に滑り込むような形で大転倒。その瞬間頭は真っ白に。次に強い痛みに襲われた。い、い、痛い。左肩と腕がズキズキする。でも、今はまだ競技中だ。必死に息子を抱きかかえて、何とかゴールまで歩みを進めた。慌てて駆け寄ってくる先生方を横目に、息子に「大丈夫、痛いところはない?」と聞いても、「うん」とだけ答えて、うつむいてしまった彼。
「あぁ~やってしまった・・・恥ずかしい思いをさせてしまったかな」と胸がギューと締め付けられる。
いや、でもそうじゃない。プライドが高く失敗を恐れる息子。そんな彼の目に「恥ずかしかったけど、これぞまさに忍者修行!」と笑いとばす母の姿はどう映っただろう。この母の姿が彼の秘めたい感情を放つ、ひとつのきっかけになったらいいな。この経験を自らの栄養に変えて、大地にしっかりと根をはる樹木のように、たくましく育っていってくれたらいいな。そう思うと、湿布だらけの左半身とは裏腹に胸の痛みはいつしか消え去り、一縷の光と化したのであった。
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