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自分株式会社と社会


依頼のあった、油圧ショベルによる抜根作業をしました。3トンローダーダンプと油圧ミニショベル
伐倒、抜根後の整地


クボタ U-20-3 0.06立米クラス。
ミニショベルの割に油圧機構が優秀に感じました。

とりあえず、なんでもいいから、自分を会社に見立てる考え方をやってみて、3年目。
確定申告もより、深みを学ぶ為に白から青に切り替えた。

例え、人のお手伝いだとしても、自分株式会社の考えを持てば、それは取引先になるし、何をやるにもやらされ感みたいなのはかなり減った。
今期から各種負債も叩き出せる部分が出てきて、今まで出来なかった数字とも向き合う、ということがちょっとずつできるようになってきたと思う。

会社員のころはかなり他責だったな、って今なら言える。
まあ、それはそれでしょうがないよねって思う自分もいるし。

とにかくなんでもいいから自分でやってみるってことを3年くらい大切にしてみて、支払いにお金がぐるぐる回るようになった。
消費しか知らなかった自分が投資、することを体感として覚える事ができた。
昔の自分だったら、自分の好きなものにすぐお金を使ったり、浪費していたと思う。

でも、自分が会社だとするなら、やる事はなんだ?って観点、考えを持てるわたしも出てきて。
わたしのお金は、わたし一人が稼いだものではなく、社会があってもたらされたもの。
わたしのバランスシートは資産がなく、流動資産も少なく、負債が多い。

債務超過の会社だったら、債権整理をする。

じゃあ、わたしがすべき事も債権を減らし、わたしという会社の信用を一ミリでも回復させることではないのか?と。

という事で、滞納していた税金約27万円を清算することができました。
申告上、わたしは給与所得控除55万と、青色申告特別控除55万(65万はe-taxでの申請に限る)を使えるので、課税所得にすると非課税クラスになります。
そうすると、売上や収入が立てば、その多くを返済に当てることが出来、バランスシート上の負債を減らし、財務体質の改善が見えてくるな、と。

元々、身体も心も限界で、精神ぶっ壊して、無理矢理自営業になるしかなかった。
たった200万、160万の年収に、国保税、市県民税はあまりにも重く、脆弱なセーフティネットを何度も恨んだ。

わたしは29歳の頃、自己破産をしている。
立ち上がる為に昼夜土日祝問わず働いたけど、全然お金を稼ぐことが出来なかった。
コロナで失業したり、行く先々が派遣ですらブラック企業で、働いた分すら頂けなかった。

そう考えると、支払いが回せる自分でさえもすごく嬉しいし、税金や経費の勉強を泣きながらやったのも、かなり効果あるなあって感じる。

でも、本当はね。
セーフティネットがきちんと機能すれば、わざわざここまでやらなくてもいい話だし、そういう意味では日本って変だなあって思うよ。

確かに、自責も大切。
ただ、それとセーフティネット云々は全然関係ない。

家がなくなっても、税金は義務ですから。
自営業なんて選んだ貴方が悪い。

市役所の納税相談を忘れる事は一生無いでしょう。

わたしは立ち上がる為に本当に一度、尊厳は捨てた気がする。住む家もなくなった。
でも、それにだってダメージがないわけじゃないし、単に運が良かっただけってのが一番の要因で。

ただ、今に感謝。

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