手書きに想いを乗せる
本当に便利になったなあ。
年賀状の準備をしたときの話。
今年は評価の高かった去年とは違う、年賀状作成アプリを使ってみることにした。
好きなデザインを選び、写真を挿入する。
テンプレートの挨拶を入れ、宛先や差出人を入力すれば、細かなことは自動でしてくれ20分もかからずできた。
仕事や家事に日々に追われているわたしにとって、こんなにも簡単に年賀状を作れるのは本当にありがたい。
と思うと同時にふと、1枚に込める想いは昔より軽くなっているような気がしてさみしくもなった。
アプリで作れるようになるもっと前、小学生の頃は一大イベントだった。
自宅にあったプリントゴッコで、「ガシャコン!パタン、ペッタン」と繰り返し何枚も印刷し、乾かし、そして宛先などを書いて…といくつもの過程があった。
ちょっぴりはがきを置く位置がズレて、印刷を失敗したこともあったり。
(今、プリントゴッコ知ってる人いるのかな?)
そんな中、手書きで年賀状を送ってくれた人のこといまだに覚えている。
わたしが小学4年生のとき。
同じクラスの男の子が年賀状を送ってきてくれたんだけど、黒のペンで大きくドンと犬の絵が書いてあり(戌年だった)、右下に「今年もよろしく」とひと言。
特に色もなく、白黒でとてもシンプルで、絵の感じもシュールなんだけど、妙に愛らしくてたくさん届いた年賀状の中でもひときわ目立っていた。
たったそれだけのことなんだけど、刷された年賀状が当たり前になりつつあったなかで、すべて手書きだった1枚に込められた時間が目に見えるようで、嬉しかったのだ。
やっぱり手書きにしかない温かさってあるよなあ。
先日、こどもたちと一緒にサンタさんへの手紙を書いた。
「サンタさん、よんでくれるかな?」
「おかーさん、どうやってかいたらいいの?」
「みて!」「できたよ!」
と、あーだこーだ言いながら一生懸命、サンタさんを想いながら書いた2通の手紙。
きっとサンタさんにちゃんと想い、届くよ。
そんな様子を知っているからこそ、わたしにとっても一生忘れない、大切な手紙になることだろう。
便利になったこの時代だからこそ、誰かに手書きの手紙を送りたくなった。2023年の冬。
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