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悪魔と契約 P.2


20年程前、わたしは自分自身を破壊した。

「悪魔と契約した」

その表現がなんともふさわしい気がする。

何がなんでも痩せたかった。
痩せたら全てを変えられる気がして。
全てが手に入ると信じていた。

細い身体、痩せていること
それに固執するようになったのは、その時にわたしが持っていないものだったからなのかもしれない。

バービー人形、セーラームーン、モデル、女優、アイドル

どれをとっても、美しいとされるものは細い身体として描写されている時代で育った。


「細ければ、愛されるようになるのかな?」


悪魔を召喚する言葉だ。


「細ければ、“あの人みたいに”なれば、愛されるよ」


悪魔は私に囁く。


そうか。


痩せてれば、愛してもらえるんだ。


あの人たちみたいに


この考えがきっかけで、永遠にこの棺(固定概念)の中から出られなくなるとは、考えもしなかっただろうな。


小学校を卒業し、エスカレーター式の中高一貫校に進学した。

12歳という若さではあったが、わたしは半年間で15kg減量した。

人生で1番太っていたあの頃は今よりも5kg多く
努力の末に手に入れた薄い身体は今よりも10kg程少なかった。

成長期の自分の体を、わたしは肉の塊としてしか扱っていなかった。醜い。

削ぎ落としてしまえばいっそ楽なのでは?
そう思い一度、包丁を手に取ったこともある。
手に取っただけだけど。
痛いのはヤダなってスッとそのまま戻した。
悪魔はたまにポンコツな発想をするものだ。

SNSやインターネットがこれほどまでに普及していなかった20年前。インターネットでダイエット方法を必死に検索した。ヤフオクで売られたダイエット情報を買ったりもした。SNSが発達していない時代の中学生にとっては、最良の方法に思えた。

なにより、同年代でダイエットしていた人は周りに居なかったし、わたしからしたら周りはダイエットなど必要ないほど恵まれた身体をしていた......ように思う。

他人の体型にとやかく意見するつもりもないし、何より他人に興味が無かったっていうのが正直なところで、彼らがわたしに特段良い結果を持ち寄ってくれるわけでもない。
別に他人がどんな体型だろうが関心が無いし、もっというと彼らがわたしの痩せたいという気持ちを昂らせてくれることもなかった。だから周りがどんな体型だったかなんて、覚えていないというのが正解だ。

それなのに、自分が物凄く醜く、そんな自分が恥ずかしくてたまらなかったことだけは、覚えている。

周りに関心もなく、他人をあーだこーだ心の中で評価して、マウントを取るようなことはなかったのに。

自分がものすごく醜く見える、というと何かと比較した結果に違いないのに、一体わたしは、何と比較して、何を追い求め、どこに向かって突っ走ったのか。

やんわりと思い出してきた悪魔と共にした時間。
わたしが目標とするものはあまりにも現実とかけ離れており、それでいてそれ以外は眼中になかった。
ぶっ飛んでてものすごくバカげた理想像を掲げ突っ走っていくわたしを、悪魔はそばで眺めていた。

それでも手に入るはずの愛情をこの手で掴み取るまでは、絶対にわたしは諦めない。


悪魔は優しい。

何かを頑張ったことなんてなかった。
何かに負けて悔しいと思ったこともなかった。

そのわたしに、何かを掴み取る強い気持ち、諦めず踏ん張る力、モチベーションを保ち続ける意識、色々な人生のTipsを教えてくれた。

悪魔はわたしに優しい。

先述通り、ネット上にはあまり有益な情報は今ほどなく、それを好きなものだけピックアップした、ご都合主義のあまりに偏った知識だったに違いない。それでもサマになったし、正直思い返した今でも、上手くやってたと思う。食事制限と運動を両立させた見事なプランだった。

必死に取り組んだ半年間、希望は感じられない地獄のような日々。時々不安が襲う、痩せなかったら?痩せても望むものを手に入らなかったら?そう不安に駆られ、自分を奮い立たせる。きっと何かは変わる。そう自分に言い聞かせて、500gの増減に一喜一憂する日々。

記憶はすぐに薄れてしまうせいか、その時に感じた苦しみなど、すぐに消え去ってしまった。一時の苦痛も、過ぎれば快楽。なにより、その苦しみを上回るほど、痩せたことが嬉しかったからね。

そして、20年経った今、その喜びを遥かに上回る苦しみが呪縛となり、1日も休むことなくわたしを苦しめている。争わないよ、これが悪魔との契約だから。

ダイエットを始めてからというもの、わたしは毎日毎日「痩せなければ」と自分に言い聞かせるようになった。

朝起きた時、お風呂に入っている時、鏡に自分が写った時、ご飯を食べる時、食べ終わった時、授業中も仕事中もデート中も常に「痩せたい」「痩せなきゃ」そう頭で考えている。


痩せたい。

痩せなければ

痩せていなければ——


自分に価値がない


例え話でも何でもなく
これがわたしの日常なのだ。

痩せたいと思うこと、
痩せなければならないと思うこと、
寝ている時以外はわたしは常にそう考えている。
もしかすると寝ている時ですらそう考えているのかもしれない。


痩せたいと考えることを、
わたしはやめることができない。


もっと痩せろだとか、もっと痩せた方がいいとか、誰に言われたわけでもない。それなのにそう思わずにはいられない。

全てをかけてダイエットをしたあの日から、
わたしは悪魔と契約をして、自分がなりたかった姿を手に入れた。

「痩せることができたら、何もいらない」

心からそう願った。
あるべき姿で居れるように、残された自分の時間を全てそれに注ぐと。

この願いこそが、自分自身を蝕む病になろうとは
あの時のわたしは全く想像もしていなかった。


悪魔との契約は成立した。

ある一つの願いが
一生かけて守り抜く契約として
永遠に残されている。


悪魔は優しい。

わたしの願いを、わたしがそれを望んだことを、決して忘れないように、最後まで遂行出来るように、スヌーズ機能のようにいつ何時でもわたしのそばに居てくれるのだから。

悪魔はわたしに優しいなぁ......


自分が求めた姿を手に入れてからの数ヶ月は、
本当に夢のような時間だった。

苦しい運動やカロリーを意識しながら取る食事、
そして我慢周りに流されないように自分を保つこと、
それらを半年間ひたすらに続けて自分自身で作り上げた、細い薄い身体。

体型を気にせず着たいものが着れるの?
もうお腹が出ることを気にしなくていい。それを目視で感じられることが、この上なく幸せだった。

だけど、半年間で生み出したものは、
追い求めた痩せた身体だけではなかった。

成長期真っ只中だった身体は成長を止め、
生理は半年間止まりホルモンバランスはガタガタ。
白髪も一気に増え、髪質は完全に変わった。

小学校卒業して中学1年生の秋にはすっかり体型が変わっていたので、親戚からは拒食症だと言われ、「ちゃんと食べさせろ」と親が言われる始末だった。


お前たちに、何がわかる。


わたし(悪魔)は、そこはかとない苛立ちを覚えた。

わたし(こいつ)は自らこの薄い身体を望み、
全てを賭けて、自分の努力と執念で手に入れたんだ。

努力して努力してようやく創り上げた作品を、
たまたま出来たモノかのように扱われた気分だった。


悪魔は優しい。

何かを成し遂げる、それによって付いてくる「自信」というアイテム。

自身に決定的に足りない「自信」という目には見えない力。それを手に入れられなければわたしはきっとこのまま負け犬のままだ。

少しずつ、少しずつ。
悪魔は、わたしに自信を与え続けてきた。

ねえ、悪魔。
わたしは、何のために痩せようとしたんだっけ?

そう時々、眠りから覚めたかのように
我にかえる時がある。

特に多様化が進んだ現代を生きていると、「細い身体が必ずしも美しいとされる訳ではない」というのを目の当たりにする機会の方が多いのだから。

あれ?そもそもなんでわたしは「細い身体」を目標設定したんだっけ??

そう少しでも迷子になりそうであれば、悪魔は囁く。

自分自身を変えたいと懇願し
自分の理想を叶える その理想の姿を武器に
自分に引け目を感じることなく
自信を持って自分の気持ちを伝えたい
例えそれがどれだけ
周りの価値観とズレていようとも
自分の心を、自ら切り裂く必要はない
信念。自分のことを信じて、
また自分自身を創っていけばいい


心が望んでいることを、忘れるな



わたしの悪魔は  優しい。


lazy S.

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