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「違うこと」をしないこと

「いつでもやめられる」ことができるひとは強い、という文章を読んだ。

なにかを買って自分に合わないな、失敗した、と思ったら、それを使わないで次のものを買う。この職場は合わないな、と思ったら、すぐに辞めて次の場所を探す。

「いつでもしたいことをする」というのと、「いつでもやめられる」というのは、少し違う。なにかがしたい、と思うのって意外と自分でも分からない。
面白そうと思って、流れに乗ってみても、だんだん違和感を感じてくることもある。はじめは好きだった会社もなにかの折に空気が変わって、居心地が悪くなることもある。

はじめから、目的地のわかる電車にみんなが乗っているわけじゃない。なんか違うな、と思ったらすぐに降りられることが大事なのかもしれない。

「違うこと」をしないこと。

自分のなかの違和感を、大切にしたい。なにか変だな、と思ったら素直に言う。それがうまく言葉で説明できないこともある。でも、「なんかいやだ」「気がすすまない」という感覚を理由にいろんなことを断ってもいいと思う。「違うこと」はしなくていい、すぐにやめてしまっていい。

それは、強い人の論理なのかもしれない。強い人だけが、そうやってやめてしまっても生きられる。次がある。本当は、誰もが「違う」と思ったらやめられる社会のほうが生きやすくて優しい社会なのだけれど。
実際には、簡単にはやめられなくて、逃げられない。いま、ここで、生きていくしかないことのほうが多いかもしれない。

習慣の外に世界があること、その気になれば、習慣の外にでることもできるんだっていうことは、想像だけでもできたほうがいい。
やりたいことをやってるはずなのに、いつもせわしなくて、幸せだって感じる暇がないとしたら、それだって習慣ですよ。ぼんやりしてるなんて時間がもったいないなんて言うけれど、本当にそうか。いつも時間に追われて、あくせくしていることで、実は、何もしない時間の中にある豊かさを受け取り損ねているのかもしれない(p.150)

何もしない時間。習慣の外に世界があることを想像すること。

いま、ここにいることからは簡単に逃げられないかもしれないけれど、一日の中で10分でも15分でもいい。ここから遠く離れた景色や新しい場所のこと、違う誰かの生活を想像することはできる。

本を読むことも、そうした時間をつくることなのかもしれない。
そこに逃げているわけではないし、しがみついているわけでもないけれど、自分のいる世界に少しだけ余白をつくることができる。習慣で埋め尽くされた毎日に少しだけ隙間をつくることができる。

そうやって隙間を作って少しずつ動けるようにする。いつかここから飛び出すことができるように。

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