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人が好きな人は、人事に向いていない

昔、そんなことを先輩に言われたことがある。「あなたはやらないほうがいいよ」という意味だと思った。たぶん、わたしは向いていない。

なぜかわたしは今、人事の仕事もしている。大人になってからの多くの人の生活の一部は仕事でできていて、日々の仕事の積み重ねがその人のキャリアを作っていく。ずっと仕事を続けていくのは、大変だ。
ずっと同じ気持ちで、ずっと同じように働けることなんてない。自分も、周りのひとも、世の中も、それぞれの速さで変わっていく。同じように歩いていくことができなければ、いつか別れが訪れる。そんな別れの繰り返しと向き合うのが、人事の仕事だ。お互いに少しでも傷つかないように、折り合いをつけていく。私は会社に雇われてる身だけど、会社にいる人も会社も、同じように守りたい。だから、そのあいだ入ってなるべく穏当にことを終えさせる。

採用の仕事は、もっと過酷だ。せっかく私たちに興味を持ってくれた相手を、自分たちの都合で見定めなければならない。
履歴書や職歴書は、必ず全て目を通している。これまでに何千枚と見ているはずで、その何千通りの人の人生がそこには書かれていて、字面以上に多くのものがそこには詰まっている。書類だけで何がわかる、と思っていたけれど、これはただの書類じゃなくてその人の生きてきた証なんだと思う。

実際に、書類だけで不採用にすることも多い。それを伝えるときにはなるべく傷つけないように、少しでも足しになるような言葉を選ぶ。祈るだけでは、その人はきっと浮かばれない。どうしても言葉が見つからないときは、嫌われる覚悟を持って祈る。

出会って一時間ほどしか話していない人に、嫌われることはつらい。でも嫌われても仕方のない仕事をしている。表に出している情報がどれだけ充実していても、その全てを最初から理解してもらうことはできない。
仕事のイメージをあらかじめ共有して伝えることは、とても難しい。話してみて、テストしてみて、初めてわかることもある。
ウチがやってほしいことと、彼らがやりたいこと。その期待値が合っていないと「私たちうまくやっていけそうにないね」とすぐに別れてしまう。

どんな仕事でもそうかもしれないけれど、実ることよりも圧倒的に実らないことの方が多い。
考えてみると少し不思議だ。ここ良さそうな店だな、と思って入ってきたお客さんを、ウチの店には合わない、といって断っている。後から入ってきたウチの店にピッタリなお客さんはおもてなしする。嫌われて当然だと思う。お店の前に書いてある貼り紙なんて、読まない人のほうが多いのだから。

そんなふうに嫌われるたびにつらい、と思う人はたぶん人事に向いてない。わたしのことだ。

でも、嫌われてもいいと開き直って、人事の仕事をしたくない。媚びへつらうわけではなくて、嫌われる覚悟できちんとしたものさしを持つ。けれど、そのものさしは、ウチのオリジナルでほかのものとは違うものだ。ウチのものさしで測れなかったその人の実力は、別の場所で発揮されるかもしれない。だから、ウチでは合わなかったけど、きっと似合う場所があるはず、そのためにできるアドバイスはしたい。ただ、言い回しに気を遣う。嫌われてもいいと開き直ってる人事の人の言葉はだいたいが偉そうで気持ち悪い。熱量高くて胡散くさいのもイヤだ。なるべく目線の高さを同じにして、ちゃんと向き合ってから嫌われたい。

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