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「いのちをだいじに」

ドラクエの作戦みたいだ。これから先も「ちゃんと生きていく」「長く働く」ために必ず守ろうと思っていることだ。

身体に異変を感じたら、すぐに仕事は休む。
疲れたら、寝る。
コーヒーを飲んでリラックスする。
やるべきことは忘れて、ゲームに夢中になる。
たまに、体を動かして遊ぶ。
お酒も夜遊びも無理しない。

身体の異変のサインを、ないがしろにしてはいけない、と思った。
鬱になってはじめて心療内科を受診したとき、気持ちよりも先に身体のほうに異変が出てきた。
気持ちは、もっと仕事したい、まだできるとやる気があったのに、身体がついていかずにたくさんのミスをする。顔がひきつってけいれんを起こす、眠れない、ご飯が食べられない、電車に酔って嘔吐する。だんだん限界に近付いているのが自分でもわかった。

「あなたの身体を大切にすることは、自分のためだけじゃなくて、家族のためでもある」

そう、妻は言ってくれた。おかげでずいぶん長い間休ませてもらった。

それでも、仕事をしているともっと頑張ろうとする。
だれかに付き合って夜の街で遊ぶこともある。
「無理」のラインを自分で見極めて、それを守ることはとても難しい。

長らく外では飲んでいない、夜も家で家族と過ごす。
だから、久しぶりに街の夜を歩くと、なんだか少し狂気じみて見える。
酔っ払いが千鳥足でなにかを叫び、サラリーマンはぐったりと電車で深く眠る。楽しく騒いだ飲み帰り、満身創痍の仕事帰り、それぞれの一日の終わりが一緒になって連れ立っていく。

昔の自分はどうやってここに立っていたんだろう。
たくさんの人の波に酔ってしまって、くらくらしてしまう。

こないだ、精神障害者手帳を手にいれた。
面倒で手続きをしてこなかったんだけど、「お守り」代わりに持っておくことにした。

毎日仕事に行く、それができない人も100人に1人くらいは、いる。本当は、もっといるのかもしれない。無理をして自分を社会の仕組みに合わせるのは、やっぱりちょっとしんどいことだ。
みんなきっと無理して頑張っている。本当は社会の側がみんなに合わせるように、もっと柔軟に、包摂的に、なるべきなのに。
頑張ってる人はすごいし、応援したい。でも、そうじゃなくても大丈夫。
みんなが同じように生きるわけでもないから。
無理しないで、もっと自分を大切にしてほしい。

わたしは自己肯定感が低いから、自分のことをつい大切にしなくなる。
なんでもないことに自分を投げ出して、自分はどうなってもいい、と思って熱量を注いでしまう。そのおかげで、伸びていった能力もたしかにあるけれど、代償として大きな故障をしてしまった。

いまやってることを長く続けるためにも、次の新しいことをするためにも、みんな無理しないでほしい。いのちをだいじに。

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