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ケアの社会化はまだ遠い

「ケアするのは誰か」というタイトルの本があり、このフレーズはわりと界隈では有名だ。

Who cares ?は、直訳すれば「ケアするのは誰か」という問いかけだけど、英語圏の日常会話では多くの場合「ケアなんて知ったことか」という切り捨ての意味で用いられる。

ケアの責任を負うことのない特権的な男性の口癖、ということらしい。

「ケア」にはいろんな意味が含まれる。仕事でいえば、介護や保育の仕事、医療の看護などの仕事になるし、家庭生活では、育児や家事、介護、家族に対する配慮などのケア全般が含まれる。
誰かに対して、その人にあった適切な応じ方や接し方をし、お互いにとって居心地のよい環境をつくる、とかなり大きく解釈を広げれば、誰もケアから逃れることはできないはずだ。

「ケア」は、その責任配分が、つまりメインの担当者が女性に偏ることが多い。家庭内の家事・育児が一番わかりやすい。

母親・女性だけがしんどい思いをする「ケア」のあり方を変えて、もっと社会全体で「ケア」を担おう、というのが「ケアの社会化」だ。

と、ここまですごく前置きが長くなったけれど、保育や育児、という分野において、「ケアの社会化」をしたいとビジョンに掲げているのが、私の所属しているNPO団体だ。
「両立をつくりなおす」というビジョンのもと、女性だけに偏ってしまいがちな子育てや保育にまつわることを、もっと社会全体で担うことができるよう促したい、というのがミッションで、そのために、いまいろんな下準備をしている。

子ども子育て支援制度があって、保育園や幼稚園があっても、介護保険制度があって、介護施設やサービスがたくさん生まれても、それらの「ケア」はまだ社会化された、とはいえないと個人的には思っている。

介護の担い手の多くは女性であり、保育も同様だ。そのうえ、その労働にたいする対価は依然として低く、人手が足りなくて、ときに問題が表面化してニュースになることもある。

単純に、家事・育児・介護といった家庭内のケアをサービス化して外部にお願いしても、「より弱い立場」の女性がそれを請け負うことになって、結局のところ、とても社会全体で担っている、という感じがしない。

じゃあ、どうすればいいんだろう、という答えは、正直まだよくわかっていない。少なくとも現状はまだ、できていない、と思う。でも状況を良くしていくことはできる気がする。

そんなおぼろげな感じだけど、介護の社会制度に詳しい、そして女性学の賢威でもある専門家からなにかヒントが学べないだろうか、と今度イベントをすることになった。

上野さんは、過激な発言もあってよく嫌われもするけれど、女性の地位向上、介護保険の改悪の是正など、いろんなものに抵抗し戦い、そして緻密な研究を重ねてきた専門家だ。どういうお話が聞けるのか、まったく見えていないのだけど、そんな第一線で活躍するプロの話を聞いて、改めて「ケアの社会化」は可能なのか、もし可能ならどうすれば実現できるのか、考えてみたい。

個人的なことでいえば、わたしはいま、まさに育児の真っ最中で、ケアを担っている。パートナーと話し合いながら、ケアをどう分担していくか、お互いのキャリアと負担感と、いろんなものを考えてやりくりしている。でも、ベビーシッターや家事代行を積極的に使うか、というとそこまででもなかったりする。
そういう外部にお任せする、ということが「社会化」でもない気もするし、広くいえば「家族だけで子育てしている感じがなくなる」ことが社会化なのではないか、と思う。

記事中に紹介した、イベントはまだ、受付中で無料でオンラインで聞くことができます。もしご興味があればぜひ。


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