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入り口の安心感

昔の家の入口は広い。

縁側、というウチとソトのあいだみたいな場所もある。
入り口が広いと多くの人が集まれる、たくさんのお客さんが来てもいい。
それが「安心」につながる。
縁側や玄関が、おしゃべりの場になっていることもある。

マンションが多くなった現代では、入り口は狭く、とてもセキュアなものになっている。そのほうが「安心」だからだ。
自分だけの安心できる場所、それを守るための扉。それもたしかに必要だ。

入り口が広いのと狭いのと、どっちがいいだろうか。

外から隔てられた自分だけの場所がある「安心」と、外といつもつながっていることによる「安心」がある。
それは裏腹に、閉じこもって寂しいという「不安」、危険を呼び寄せてしまうという「不安」との隣りあわせでもある。

家に限らず、地域やコミュニティ、インターネットという場所でも同じだ。そして、人も。

入り口を広く設計するか、狭く設計するか。どういう「安心」を与えたくて、どんなふうに過ごしてもらいたくて、どのように人と関わっていくのか、という意識でそれは変わってくる。

最近は、オープンな場所が増えているように思う。入口が広い、あるいは外と内が曖昧な場所。閉じた世界が多くて、なんとなく息苦しくなってしまったことへの反動かもしれない。つながりを求めている人も増えている。

扉を開けるときは、ドキドキする。
他人の領域に入るときでもあり、知らない世界に飛び込むときでもある。
新しい扉を開けて、全く違う世界に踏み入れることは、人を緊張させる。
だから、温かくて緊張を和らげるような玄関がいい。安心して迎えられるような心地よい場所。いつか、そんな場所を作りたい。そして、自分自身もそんな存在でありたい。

今の家の玄関は、実家の玄関は、どんなふうになっていますか?

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