「マルクス解体 プロメテウスの夢とその先」 感想
私は斎藤幸平の著作「マルクス解体 プロメテウスの夢とその先」を読んだ。その感想を以下に書いていきたい。
1.感想を書く前に
まず、抜粋や要約はここでは行わない。
私は一読者に過ぎないから、内容を体系的に理解していない。
そのためnoteで抜粋や要約をしても内容は不正確にしか伝わらないし、私自身誤解をしているところはあるのでこの記事を読んだ方は書店で本書を購入して読んでもらいたい。
本書ではマルクスのエコロジカルな観点がいかに歴史から忘却されていったか、「自然」と「社会」とを同一のものとみなす一元論を批判したり、「人間」と「自然」とを完全に分離するデカルト的二元論を批判する。また、混同されていたエンゲルスとマルクスとを解して考えたり、晩年のマルクスがどのように西欧資本主義と前資本主義社会や非西欧社会とを融合させた社会=脱成長コミュニズムを考えるに至ったかが記されている。
私は本書に登場したマルクスの研究者や批判した人物を斎藤氏以外知らないため、一元論・デカルト的二元論批判のことについてはここでは書かない。内容については皆さんが読んで自分で咀嚼するべきだ。
2.感想
本書では資本主義と共に批判されている考え方がある。それは左派加速主義である。左派加速主義とは資本主義下で生産力を拡大して、完全な自動化や生産にかかる限界費用をゼロにすることによって、資本主義を超克するという考え方である。
そのような考えを斎藤氏は外部に責任を転嫁する行為であり、いくらエコロジカルであってもエコ商品を大量に消費する行為であること、無限の経済成長では公共的な富を解体し(水や公園を有償化)、人工的な希少性を作り出すことから批判している。
本書を読んで私は非常に共感してしまった。
私は地方に住んでいるため、保守的かつ自動車が必要な地域に住んでいる。
自動車を持つことは私たちに快楽や利便性を提供するが、その代償に散歩や自転車に乗ることに不便な道路が出来るし、排気ガスが排出されて、自動車を持たない者にとって不便な都市・町が出来上がる。
例えば、車が無ければ隣町に行くことが出来なかったり、高齢者は認知機能や視力の低下によって免許を返納するが、返納しても公共の移動手段(電車やバス)が無いもしくは少ないため、生活必需品を購入することさえままならない。
そんな状況を打破するのが脱成長コミュニズムのように思えた。
市民たちが自分たちで合議を行い皆で金銭を出し合って、自分たちで及ばないところは自治体の助けを借りて、自治することが必要に思えた。
市民たちがお金を出し合い合議を行うことによって、自治体の援助を受けてバスや電車を運営する。
だが、人々は車は個人が所有して当たり前、という考え方に疑問を抱かず受け入れている。
しかし、現在日本の物価は上昇して生活を圧迫している。自動車の値段も高騰し、自動車の維持費や税金なども生活を圧迫するのだ。
そのうえ、給料が安くて娯楽はパチンコやゲームセンターなどの大企業に金が落ちるため、地方へのおこぼれは少ない。
また、パチンコやゲームセンターの遊興では思想や社会への洞察、読書や創作には結びつかない。
車で時には長距離を移動するので、維持費やガソリン代がかかり、生活を圧迫する。
生活を圧迫する元凶であるはずなのに、人々は車を持つことと自身のステータス(魅力)を同一視し、乗れる車を捨ててでも新たな車を欲しがる。
まるで、美人の貧乏神を自分の配偶者にするようなものである。
また、休日には自転車で20Kmくらい走るわけだが、道路が狭いことと歩道が無いので走っていると横に広がる歩行者にぶつかりそうになる。
歩行者は道路では弱者なわけでこちらが配慮するのだが、自動車と歩行者の距離が近すぎる、と思うわけである。
若者の場が少ないというのも問題だ。
大人の遊び場はパチンコやショッピングモール、学生の遊び場はゲームセンターである。
読書や学習をしたい学生や大人はどうすれば良いのか。
そういう場が無いわけではないがやはり少ないし、お金を使わない趣味や読書で得た知識や学びをネットだけではなく知人と語らう場が街にある、それもコモンではないだろうか。
3.終わりに
私は地方に住んでいる。
地方に住んでいても人々の営みは、コンビニや商業施設などが立ち並んでいるものの創造性や知的好奇心が満たせないと思う。
コンビニや商業施設があることによって利便性はあるのだが、その町の風土や食文化などは感じない。
車を持つことが前提の社会になっているため、車を保有しない若者や高齢者は移動するのに困り果て、保有しているものはローンや車検でただでさえ安い収入から引かれて苦しい生活をしている。
娯楽はパチンコやゲームセンターしかなく保守的なムラ社会のため、知的好奇心や創造性を満たすことが出来なく、自由な発想が生まれづらく生まれたとしても実行に移すのが難しい。
そんな地方を変えなくてはならない、そう思える本だった。
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