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豚カツはご飯に合わない?

先日、外出先での会議後、一緒に会議に参加した若い男性社員とランチをとることにした。

とんかつ屋が目に入り、その店に入ることにした。それぞれ定食メニューを注文する際、彼が「ご飯抜きにしてください」と店員に頼んでいた。

彼は肥満というような体系ではなく、むしろ痩せ細っているように見える。とてもダイエットしているとは思えない。不思議に思ってなぜご飯抜きにするのか尋ねると「豚カツってご飯に合わないと思うんですよ」という返事だった。

「豚カツはご飯に合わない」の衝撃

彼の言葉を聞いて、豚カツがご飯に合わないだと?と、軽い衝撃を受けた。

その衝撃は、若い頃、初めて大阪に出張に行った際、ランチで入ったお店で「お好み焼き定食」を目にした時の感覚に近かった。あの時、お好み焼き=主食とばかり思っていたため、お好み焼き=おかずという構図はまるで想像したことがなかった。そのため衝撃だった。

今回の場合、豚カツ=おかずと思っていたのが、若い男性社員にとっては豚カツ=主食ということらしい。

しかし、豚カツといえば、豚の生姜焼き、焼き魚と並ぶ「三大ご飯に合うおかず」みたいなもので、定食屋の必須メニューといえる存在じゃないか、そもそも、居酒屋で豚カツの単品メニューはほとんど見ない、それは、豚カツは単独で酒の肴になる品ではなく、ご飯のおかずであるからで…と、ごにょごにょ考えていると、彼が、

「揚げ物とご飯って基本合わないと思うんですよ。揚げ物の衣って小麦粉とパン粉ですよね?パンとご飯は合わないと思うし、炭水化物 on 炭水化物だから変ですよね?」

炭水化物 on 炭水化物。お好み焼き定食を初めて目にした時の違和感もそこだった。確かに言われてみれば、揚げ物の衣は小麦粉とパン粉だろうから炭水化物 on 炭水化物になる。

なるほどなあ、と思った。

「ジブリが嫌い」という意見

出てきた豚カツ定食を食べながら、先ほどの豚カツ=主食について考えた。そこで、ふと、ジブリ映画について雑談していた時のことが思い出された。

金曜ロードショーでジブリの作品が何か放送される日だったと思うが、仕事の合間、数人でジブリで一番好きな作品は何か?という会話になった。

それぞれ、思い入れのある作品について意見していた。そんな中、

ジブリ映画は嫌い

という男がいた。理由は「ジブリの絵は線が少なくて、手抜きしているように感じるから」ということだった。

ジブリ映画は、日本人なら誰もが好きで、そして、それぞれのお気に入りのジブリ映画がある。何となくそんな風に思っていた中「ジブリは嫌い」と断言する意見に驚いた。

「ジブリの絵は手抜き」という意見について賛同できないし、ジブリのアニメは非常に苦労して作られていると思うが、しかし、最近のリアルで細かい線の漫画と比べると、彼が言わんとすることはわからないでもない。

あの時も、なるほどなあと思った。

当たり前を疑う

普段仕事において、一日の中で、ちゃんと会話を交わす人数は10人程度に絞られる。ちゃんとした会話でなく、挨拶を交わす程度にしても、数十人がせいぜいだろう。

そういう限られたコミュニティの中であっても、豚カツやジブリ映画のように、「当たり前」と思っていたのと異なる意見に遭遇することがある。

「当たり前」との向き合い方については、20代の頃、強く言われたことがある。

20代の頃、数年配属された部署は、データ分析を担当しており、他部署から来る分析依頼に応えるものだった。

他部署からは、データ分析結果を「こういう提案で使いたい」「こういう文脈で使いたい」という要求がくる。けれど、データ分析を行うと、”こういう提案で使いたい結果”にも、”こういう文脈で使いたい結果”にもならないことが多々ある。

そういう際、疲れ切ったりしている時だと、データ改竄という悪魔のささやきが聞こえてくる。こういう提案、こういう文脈に沿った結果を得るため数字を書き換えるという改竄である。

ぎりぎり最後のところで良心めいたものによって踏み留まり、データ改竄を行うことはなかったが、「これを終えてしまえば帰れる」「この結果じゃダメだからまた分析やり直しか…」という中、データ改竄は強烈な誘惑がある。

このような「結果ありき」の分析は、データ改竄を生みやすい危険なものといえる。また、データ分析をしていると、そういうわかりやすい他部署やクライアントからの要求に限らず、「当たり前」ということに引っ張られることもある。

データ分析を行う際には、仮説を立てて、どのデータをどの手法で分析するか検討する。しかし、仮説というのは「当たり前」の影響を受けやすい。慎重に仮説を立てないと、「当たり前」の強い影響を受けている場合がある。

「当たり前」の影響を受けたまま分析を進めると、「当たり前」という結果ありきの分析を行うことになる。これは、他部署からの依頼に応えるための結果ありきの分析と同様の状態となる。その結果、やはりデータ改竄という誘惑に襲われる。

そのため、当時は「当たり前を疑う」思考をしつこく言われ、何度も何度も叩き込まれた。

豚カツ=主食、もしくはジブリは嫌いの意見に接し、それに驚きや衝撃を受けた自分を見返して、豚カツやジブリに対して「当たり前を疑う」ことを忘れていたのだなと思った。

ごく限られたコミュニティの中であっても「当たり前」が通用しないケースがある。そして「当たり前」が本質とは異なる場合もある。

気楽なランチだったはずの予定が、思いがけず、データ分析に限らず、思考全般において「当たり前を疑う」ことの必要性を、改めて考えさせられた。

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