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長くいても苦手なものは苦手

 言葉に詰まりスラスラと出て来ず「あぁ文をつくってるなー」と感じる時は案の定相手に伝わっていない。

 言語とはそういうものみたいで、文法に沿って組み立てただけの文は、字面では理解できそうだが実は「そうは言わない」ので理解してもらえない。そんな場面にあうことが今だにしばしばある。

 そういう時はどうするのかと言うと、言いかけていた文を捨ててしまい、言いたいことを細切れでもいいからスッと出る言い方で言い換える。子供が大人に話すやり方を使う。

 子供は長くきちんとした文では喋らない。とにかく伝わればいいので短い文で喋る。一文で全部伝えられないことくらい承知しているかのように。

 このやり方だと情報不足な部分を後から埋め足せばいいので、話す分には簡単だ。聞く側にとっても文の頭がどうだったとか考えなくていいのでスッキリと伝わって行く。

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 聞き取りの時も似たようなことが言える。

 漏らさず理解しようと身構えた途端に分からなくなってしまう。聞き取りというのは話の流れに身を委ねてしまう時に一番よく理解できる。子供が自転車を覚える時に補助輪を外してしまうのと似たようなものかも。細かいことまで全部聞き取って覚えていこうとしてもムリ。大まかなところが分かってしまえば細部は想像がつく。そくらいリラックスした方がすんなり理解できるということ。

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 母国語だとこの辺を意識しなくてもなんとかなっているようだ。もう30年以上住んでもいないのにやっぱり日本語の方が間違いも少なくスッと分かるのはなんとも歯痒い。所詮フランス語は自分にとって「覚えた外国語」でしかない。こう言ってしまうとどこか寂しいが事実だからしょうがない。

 根が奥手で人前で話すのが苦手なので、これでもマシになったほう。発表会の挨拶なんか「日本語でやれ」と言われてもどうかと思うのにフランス語でやらなくちゃいけない。やる度にビクビクしている。こういう時に変に言うことを前もって決めていると間違いなくトチる。何も考えないでぶっつけ本番の方がよっぽど上手く話せる。

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 こんな調子なので、もっと歳をとって体が動かなくなっても « maison de retraite »「老人ホーム」に入るつもりはない。何で?って今よりももっと喋れなくなるのにフランス人の年寄りに囲まれて死ぬのを待つってちょっとしたホラーでしょう?

 「老いては子に従え」で、迷惑をかけないように近くに寄っていこうと思っている。あらあら、言葉と会話の話から随分離れてしまった…

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