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 帰国旅行も終わり家に戻って一息ついてボーッと振り返っていて思った。

 「そういえば親父の話がほとんどなかったなぁ」

 関空まで見送りに来てくれた。2週間以上毎日顔を合わせていた。にも関わらず投稿する記事に登場するのはお袋。買い物にしても食事にしても家でゴロゴロしている間にしても、何か用事があって話しかけるのはお袋ばかりだった。

 親父は健在だ。ピンピンしている。今年90で片目(若い時に怪我で無くした)にもかかわらず、一日何度も自転車で亡くなった叔父叔母の家を往復し、麻雀もするしボーリングもやっている。病気という病気もない。至って元気。

 一つだけ問題がある。耳が恐ろしく悪い。
 普通に話しかけると「えぇっ?」
 少し声を上げると「なんやて?」
 もう少し大声気味だと「なにゆーとんねん」
 最後に叫ぶと「やかましい!」

 こんな調子だから二人だけの状況では居心地が悪くなる。実際に一回だけあった。その日もお袋と買い物に行った。昼をまわっていたこともあって「先に帰って親父と食べといて」と言われた。その時はなんとも思わなかったが家にに戻って部屋にいる親父に声をかけて「うわっ、どうしょー?」となった。なんとか部屋から引き摺り出し、昼飯を準備する。何でもない食事の風景のようだが問題があった。会話ができない。「醤油取って」もジェスチャー無しに伝わらない。話すネタはあってもどうせ「えぇっ?」というリアクションが返ってくるのは明らかだった。お互いにそうなることがわかっているので手元の飯を見るだけで頭を上げることもしなかった。なんとも気まずい空気でそそくさと昼飯を掻き込んでしまった。

 聞こえる声の周波数があるのかもしれない。男の低い声は聞こえないようだ。幸いお袋の声はそこそこ聞こえているらしい。

 補聴器は持っていても絶対つけない。キンキンうるさいからつけたくないと言う。せめて家の中にいる時くらいつけたらいいと思うのに、そのひと動作が面倒くさいらしい。困ったものだ。

 老人性痴呆症も現れかけている。会話の内容もキチンと伝わらない。たまにとんでもない行動をする。いや多分だが、とんでもないと思うのはこちら側で、本人はそれなりの理屈で動いているのかもしれない。

 全部は聞こえていないのだろう。聞きかじりが多い。きこえた部分に聞こえなかった部分を自分なりに埋めて、わかったふりをする。こっち(特にお袋)はわかってもらえたと思うので、結果を見てがっかりするやら腹を立てるやら、聞こえるように大声で捲し立てる。親父は「うるさいなぁ」と言いながら部屋にこもってしまう。毎日これの繰り返し。

 典型的前時代の「日本の父親」ではない。若い頃は仕事とタバコと競馬と麻雀をそこそこやるくらいの、中の下くらいの家庭の「普通」の父親だった。土曜日になると家に仕事仲間を呼んで一晩中麻雀をやる。コタツかテーブルのある部屋となると「居間」しかない。テレビもここにしかないのでそこに全員が集合することになる。4人全員がタバコをやる。当時は喫煙に対する注意なんかなかった。白い煙がもうもうとする中で「天才バカボン」とか「巨人の星」とかを見ていた。翌日になると競馬をやるので一緒に見ているしかなかった。夕方になると相撲があり「笑点」があった。テレビはつけっぱなしだったようだ。

 ただこうして振り返ってみると親父に「父親」としての記憶がほとんどない。

 「父親」とは何ぞ?

 「父親」という言葉の意味を探すと「男親」としか出てこない。なんともあっけないものだ。もうちょっと色気があっても良さそうなのに。つまり親であって男なら父親ということになるのか?いや、それだけじゃないでしょ?
 お袋にベッタリだった子供時代。親父とのスキンシップのようなことはほとんどなかった。時々気まぐれでキャッチボールなんかをすることもあったが、こっちが下手くそですぐに拗ねてしまい続かなかった。
 旅行に行ったのは2回か3回。時代もあったかもしれない。泊まりで出かけることはそれだけだったと思う。
 勉強も習い事(ピアノ)も、後ろで見ていたのはお袋ばかりで、親父に成績のこととか聞かれた記憶はない。

 ちなみに、2人兄弟の弟だった。兄貴はもちろん健在だが、生まれてこのかた何をさせても1番だった。自分もそんなに悪い方ではなかったが兄貴と比べると足元にも及ばなかった。親父が兄貴の方ばかり見ているのは子供心に知っていた。自慢の息子だから当然そうなる。ハタからはいつも「お宅のお兄ちゃんは……」と聞かれた。「お宅の弟くんは……」という会話を聞いた覚えがない。
 知らず知らず劣等感を植え付けられていたことは否定できない。今だに畏怖の念があり、兄貴に物申すには勇気がいる。この歳になってもこうなんだから小ちゃかった頃は相当なものだったろう。兄貴が大学に入り家を出て行くまで普通に会話した記憶もない。軽蔑とは言わないまでも軽視されていたのは間違いない。

 親父に話を戻す。

 ひょっとすると親父にお袋と同じような関係を期待していたのかもしれない。 生まれてこの方、「親」と言えばお袋だった。買い物があるとついて行き、家のコマゴマな用事を頼まれるか一緒にやっていた。ある意味「娘」の役をしていた。帰国するたびにやっていることも昔とさほど変わらない。大工仕事と料理の腕が上がったので「父親」と「娘」を同時にやっている。
 日曜大工の相談なんか普通は夫婦間で話し合って決めるものだと思うのだが、こちらに経験があって何かと後押しするものだから親父を素通りしてこちらに相談がくる。親父も親父で全く無関心。自分の家の話をしているのに「勝手にせえ」としか言わない。帰国するたびにやっている大工仕事も親父抜きでお袋と二人で決めてやってきた。
 子供時代から親父とのコミュニケーションは少なかった。で、それが当たり前になっていた。元々仕事人間で、家庭のことには無頓着。そこは今もそう変わらない。お互いがお互いに興味を持たないまま現在に至っている。
 辛く当たられるとか無視されるとかということもない。難しい親父ではなかった。でも逆に怒られた記憶もほとんどない。今になって思うのだが、どういう場面で怒ればいいかわからないほど不器用だったのかもしれない。

 こんな環境で育ったので親父に対する愛情?を心の底から感じたことがない。どこか隔たりがある。近所の年寄りとさほど違いがない。嫌いではないが好きかと尋ねられると返答に窮する。

 多くの「父親」が自分の子供からこんなふうに思われているのだろうか?子供にしてみれば、小さい頃から「居るだけの親父」に「父親」を感じろというのは無理かもしれない。それとも自分が特別で、愛情という感情に乏しいのだろうか?理屈ではない感情の話。分かってはいるが自然に湧き上がるものでもない。なんだか自己嫌悪になってきた……

 次に親父に会うときには今以上に耳が悪くなっているだろう。老人性痴呆症も進んでいるだろう。さっきも電車の中で突然自分のいる場所がわからなくなり駅を混同していた。子供が初めての場所でキョロキョロ周りを見回すように落ち着かない様子をしている。お袋から話には聞いていたが見るのは初めてで少しギョッとした。

 父母と一緒に過ごせる時間はもうそれほどない。親父はますます「疎遠」になっていく。そしてこれまでの関係が変わることもないだろう。かと言ってそれを変えようとすることにどれだけの意味があるのだろう?本当に必要なのだろうか?父母はそれを望むのか?

 無駄な質問だ。答えは決まっている。

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