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日本語を教えていた時のこと(その1)〜肩を張らずにフランス104

フランス語学校に通っていた頃の話。

社会人を辞めてからの学生戻りなので当然周りの学生と軽く4-5歳は離れていた。大半が大学在籍中なんだから当たり前。今はなんとも思わないが当時はまだ若かったからかかなりのジェネレーションギャップを感じた。

特に混ざろうともしなかったので、関わりがあったのは同じような境遇の30歳前後の人たちだった。元々勉強だけが目的で、楽しむ部分は最小限に抑えていた。どのみち大学生たちはせいぜい半期で返っていく。旅行気分が半分だと言っても言い過ぎではない。キャピキャピやっている日本人学生を横目に見ながら自分の決めたことだけやっていた。ほんの少し羨ましいとは思ったけれど。

先生たちもその辺はもちろん気づいていたようだ。こんな年齢でも4-5歳離れるとかなり落ち着きに差が出る。勉強への対し方も違う(し過ぎで知恵熱を出すくらい根を詰めてやっていた)。

2回目の半期登録で日本語/フランス語の翻訳クラスを受講した。フランス語の基礎がないとできない内容なので上級者向きの授業だった。先生はフランス人学生に日本語も教えていた。そもそも外国語学部?だから彼らは学部生だ。第3第4外国語として日本語を受講することになんら不思議はない。

この半期が終了する際に、先生から日本語のクラスのアシスタントの仕事を勧められた。これまでも日本人学生の中からできそうな人材をリクルートしていたらしい。

コンセルヴァトワールの授業もあったがこの頃はピアノを少し教えるようになっていたので、アルバイトが増えるのは丁度良かった。二つ返事で了承した。

学生の頃、英語塾で4年間中学生から高校生まで教えていた経験がある。扱う科目は違うが語学を教えることに変わりはない。知識としてのフランス語にはある程度自信があったし、自分の論理脳にも自覚があった。人生の分かれ道に英語の先生もあった。フランス語の先生と日本語の先生が選択肢に増えるだけのことだった(その時期すでにピアノの先生も入っていたし)。

対象受講者は1年生と2年生だった。一般の大教室が満席になるくらい受講者がいた。アシスタントなので正確な文法には触れないで、いわゆる簡単な会話や文化の紹介が主体になった。まだコンピューターのない時代なので資料は手書き。コピーをして配布した。拙いフランス語が功を制して結構受けが良かったと思う。日本人学生で茶道の心得がある子がいたので引っ張ってきてデモンストレーションしてもらったりもした。


続きます

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