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うれしいけどちょっとイラつく

 50を過ぎてからピアノに目覚めた話は何度かした。他にすることがないので休みの間も毎日1〜2時間は叩いている。

 これと言った目的もなくただ練習をしているので、できないパッセージばかり拾ってやっている。

 こう言う地味〜な作業?をしていると進歩がよく見える。うれしい。

 しかし進歩しているとはいえ、如何せん遅いな〜と思ってしまうのは歳のせいなんだろうか。そこで

 「今やってることを若い頃にやっていたらどのくらい時間がかかっただろう?」

とバカなことを考えてしまう。

 今より短い時間でできていたのは間違いない。具体的にどれくらい短かったのか気になる。

 半分?4分の1?もっと短い?

 中学に上がって2年間使わなかった左手。利き手じゃないのでどんだけ動きを無くしたんか?

 と考えたところでふと思った。習っていた5年間で左手の練習曲は何をやった?

 昔の楽譜をめくって調べてみた。なんとツェルニーの40番を始めたところでやめている。ハノンも20番まで行ってない。ソナタアルバムも黄色帯を始めたばかり。なるほど左手はまだ「ブン、チャッ、チャッ」くらいしかやってなかったんだ。通りで動かん訳だ。

 30うん年前にまたやり始めた時に平均率で苦労したのも当たり前。シャープやフラットが何個あったら何調とかも習ってなかった訳で、ド素人丸出しでよくここまでできたなと今更ながら感心する。当時は音楽を仕事にするとは夢にも思ってなかったので、ただフランスにいる時間が惜しくてがむしゃらにやっていたんだろう。

 左手が動かない理由がはっきりしたな。どこかスッキリ。今やってることは無駄じゃないということだな。せめてツェルニーの50番に手をつけるところまで行けていたら…と考えてもしょうがない。それを50を過ぎてやっていることになるのか。

 それにしても進歩が遅い。理由がわかってもイラつくことに変わりはない。

 まあデカい曲を弾きたいとも思わないし、ましてや人前で弾くのが目的でもない。手をつけ始めた曲でできないパッセージがあると、手を替え品を替えいろいろ試す。これもダメあれもダメでそのうち何かに気づいたらみっけもの。「これならいけそう」でしばらくやってみる。またダメになって他を試す…これの繰り返し。

 嫌だとは思わないな。一応進歩してるし。

 他にやりたいこともない。パッと思いついてスッとできるのがピアノだからこれでいいやと思っている。60過ぎて新しいこと始めたところで軌道に乗せるのにどれだけ時間がかかるか…それまで興味を持ち続けることができるかどうかもわからない…

 もうしばらくしてピアノが変わったらますますやる時間が増えそう。

 新しいおもちゃを買ってもらったガキといっしょだな。

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