ちょっとだけカルチャーショック(その2)〜肩を張らずにフランス38
「日本の友人に会う」
うれしくないはずがない。両親を含め昔の面々に会えるのはうれしい。帰るたびに顔を合わす友人もいればひょっとすると数十年あっていなかった面々もいる。
同窓会にはあっても行きたくない。あれは基本成功者がマウントをとるだけのために集まると言う印象を持っている。
15年ほど前に一度高校のクラブのメンツが寄った。10人ほどだったか?これは楽しかった。発起人が参加者を募ったようで、素朴に「会いたいな」と思う連中だけが集まった。
さてここではノスタルジーに浸る話がしたいわけではない。
中の一人が面白いことを言った。
「喋るとフランス語みたいやね」
?日本語喋ってますよ?
「いや、日本語喋ってても喉が開きっぱなしやからそんなふうに聞こえるわ」だそうな。
これは気づかなかった。でも考えてみれば当たり前かもしれない。口を開けば9割方はフランス語なわけで、口と喉がその形になってしまっているんだろう。
言われて初めて「そんなもんか」と納得した。
***
「日本の街を歩く」
8年間帰らなかった時があった。
『メディア』の中で話したが、両親がインターネットに契約してからPCを通じてダイレクトで顔を見られるようになったおかげで、それほど生で顔を突き合わす必要を感じなかった。お互いがお互いの部屋にいて窓越しに話している気分だったから。
それ以外にも諸事情が絡み、行きそびれたというのもあった。
それはそれ。
実際に見る日本は懐かしさと驚きと「違和感」に溢れていた。
8年経つともうまるっきり「浦島太郎」。自分がどこにいるかわからないと言うことはないけれど、周辺地域の新旧交代とテクノロジーの発達には圧倒され、自分の立ち位置が不安になった。
「あったところにない」「なかったところにある」「ここはこの店だったっけ?」「これはまだあるんだ」「中こんなふうになったんだ」など。
コロナで4年ぶりに帰った今年の2月には、さして変わったと言う印象は持たなかった。最寄り駅周辺はほとんどそのまま。大型店舗が入っていた駅ビルがもぬけの殻になっていたことくらい。
大阪に出ても普段の通り道に変化はなし。ただ今回は学生時代の友達とその娘とそのあたりを徘徊した。阪急三番街、紀伊国屋書店の横の通りを渡ると地下に100均屋が出来ている。横をすり抜けて東梅田方面に向かう。すっかり垢抜けたブティック街になっていた。フードコートで食事をして三番街に戻り、タピオカジュースを飲んだ。
その後も大阪駅ビルのなんとかいうところを上まで上がって降りてきた。その足で新しい駅ができるという西梅田北側まで行ってみた。駅はまだ工事中で見られなかったが。
実はピザ生地を作る「延べ棒」を探し歩いていた。100均屋になし、ヨドバシになし、大阪駅ビルになし。どこにも見当たらなかった。最後に店の人に尋ねたところ、コロナでお菓子作りが流行ってしまいストックがないとのことだった。思わず苦笑いをした。
学生時代、あまり出歩いた記憶がない。「ただ歩き回る」が面白く思えた。長く住んでいた大阪なのに、まるで自分が観光客になったかのように感じた。
ここまでは懐かしさと驚きで楽しかった話。
次回は「違和感」について。
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