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可能性を信じよ

たった2行を読ませるのにこれほど緊張するとは思わなかった。

我がクラスにいるLD傾向の男の子、今日も必死にノートをとっていた。

マス目が小さいのかなかなか字がマスに入らない。

握力も弱く、字がミミズのようにむじゃむじゃしている。

1週間前、彼は支援員に“読めない”とはっきり意思を伝えた。

その翌日彼と放課後ひらがなチェックをした。

全て読めた。

まとまりのある言葉も見つけられた。

まずはそこをクリアしていたことに安堵した。

次に、彼の“音読の様子”を記録した。

教科書を持ち、全体で1人読みさせている間彼の横に行き、どんな読み方をしているかを聞いたのだ。

すると、一生懸命に読んでいる。

声に出しているではないか。

スラスラと読めているかと言えば、まだまだである。

つっかえながらもまとまりの言葉を意識して読んでいた。

彼は“読めた”のだ。

私はとにかく褒めた。

「いい読み方だ!」
「読めるようになっているね!」
「声の出し方が秀逸!」

他にも姿勢や表情、彼が音読する姿を見たまんまに褒め続けた。

彼は1年生の頃、全担任からひどい叱責を受けていた。

その担任が近づくと両手を顔の前に持ってきて“守りの姿勢に入る”。

そんな姿を何度も見てきた。
彼の肩をそっと触りながら「大丈夫だよ。」と頻繁に声をかけたのを思い出す。

今彼の担任は私だ。

もちろん着替えが遅かったり、物をいじったりもとても多い。

叱ることもある。

しかし、それ以上に安心させることを第一に置いている。

そして、彼の可能性を信じ続けることも信念にある。

今日の算数。

最後のまとめを彼にあえて読ませた。

もしかしたら失敗するかもしれない。
止まってしまうかもしれない。

しかし、私には自信があった。

彼のできる姿を何度も見てきて、記録をしてきたから。

彼は読んだ。

しかも流れるように。

最後に支援員の方が私にこう言った。

「本当に驚きました。思わず胸を撫で下ろしてしまいました。成長していましたね。」

子どもの可能性を信じて、力を発揮する機会を教師が与える。

それには信じ続ける覚悟とデータに基づいた論理が必要になるのだ。

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