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グローバリゼーションは既に_Ver.2.0

僕は東京外国語大学を卒業しており、学生時代にはイギリスにも短期留学をした経験があるので、会話に困らない程度の英語スキルは身につけていました。当時のTOEICスコアは、800点を超えるか超えないかくらいの程度でした。ただ、100%のレベルで相手の言っていることを聞き取って理解したり、自分の考えを確実に表現することには自信がありませんでした。しかも、帰国子女ではないので、言い換えれば、中学1年生で初めて英語に触れるという、日本の義務教育の中だけでずっと学んできたので、 #ライティング#リーディング はテストで問われるような問題は解けるかもしれませんが、 #リスニング#スピーキング の試験はとても苦手意識が強いのです。すなわち、実践で必要となる、顔を合わせたコミューニケーションは不得意でした。このようなジレンマを抱いている日本人は多いのではないでしょうか

最初から躓いた英語改革

日本の英語教育のガラパゴス化が叫ばれて久しい中、いよいよ2020年度から導入される新しい学習指導要領により、実践型の英語教育に移行しようとしています。詳細はここでは省きますが、今後より一層進んでいくグローバリゼーションに対応するため、ライティングやリーディングのみならず、実践的な言語技能となるスピーキングとリスニングにも重点を置いた内容に変わり、さらには小学3年生から英語に取り組んで、早い段階から英語学習や外国人との会話に親しんでいくというのです

自らの経験を踏まえて、この改革の内容にはとても賛同していたのですが、萩生田光一文部科学大臣の「身の丈」発言_失言により、今改革の大きな目玉であった大学入試試験における英語の民間試験導入を延期する決定については、受験生たちやその保護者、教育関係者などに多大なる迷惑をかけただけでなく、ただでさえ進んでいない日本のグローバル化をさらに遅らせるという非常事態につながったと危惧しています。日本の危機的状況を感じているのなら、どうして英語の実践的コミュニケーションが今以上に必要なのか、どうしてこの民間試験が受験に必要なのか、そして、なにより、どうして英語が必要なのか、政治家はもっと根幹となる理由をストーリーとして説明するべきです。それも果たせず、失言ばかりで前進しない日本の政治や政治家についてはいつも残念に思います。いずれにせよ、僕が大学生の頃から批判されていた英語教育にやっとメスが入ったということ自体、国の真剣さは感じられません

日本は、アジアのリーダーではない

ローザンヌで生活していて日々感じることは、 #グローバリゼーション は日本が思っている以上に進んでいます

ローザンヌには、ヨーロッパのみならずアジア、南北アメリカ、アフリカ、オセアニアなど、世界中から人々が集まっており、 #IOC をはじめ、ローザンヌにある #国際スポーツ組織 にはスイス人だけでなく多くの国籍の人が働いています。最近では、組織の中でどれだけの国籍の人が働いているのかという数についても、組織概要で紹介されるようになってきました。これは、スポーツにおける #ダイバーシティ#ユニバーサリティ を推奨していることから、実務者レベルでも実現しようという動きに起因しています

それから欧米人においては、デュアルナショナリティがあることにステータスを感じているようで、大学院のクラスメイトでも、カナダとイタリア、オランダとアメリカ(元々はイラン)など、両親の影響でふたつ以上の国籍をもつ人が全体の3割弱はいました 。彼らは母国語の他に英語を第2言語として話すことに、なんの負担も感じていないのです

さらに、ヨーロッパにおいては、国同士が陸続きの影響もあり、デュアルナショナリティでなくとも、両親がフランス人で国籍もフランスではあるが、育ちはスイスであるなど、「ヒト」の流動がとても活発です。そして移民の受け入れも最近に始まったことではありません。南アジアや中東をルーツにもつ人々も多くおり、僕の同世代の大抵の人々が、親がヨーロッパへの移民で、生まれも育ちも国籍もスイスやフランスという人が多いです。このような人々も、たとえ癖のある発音だったとしても英語でコミュニケーションをとることに全く問題ありません

「モノ」も同様です。ローザンヌの人々を見渡せば、日本で人気のiPhoneだけでなくSamsungのスマートフォンを使っている人も多いですし、最近はHuaweiもハイクオリティな写真が取れると人気になっています。僕の中では、これらをスマホシェア3大メーカーと勝手に位置付けています。日本製品の評判の良さが話題になることもありますが、たとえば招かれた友人宅にお邪魔すると、家電のほとんどは日本製ではありません。車だって、ToyotaやHondaを全く見かけないとは言いませんが、大多数はドイツ産か、最近は韓国産をよく見かけます。日本製品よりも中国や韓国の製品の方がヨーロッパ社会で多く利用されている現状など見ると、彼らの存在感には目を見張るものがあります

このように、僕の同世代の欧米人が「ヒト」「モノ」の流動を普通の出来事として受け入れているわけですから、日本人が今でも外国人やハーフの人に一線を引いている、あるいは日本製品が世界一_それ以外は信頼しないといった閉鎖的なマインドでは、潮流のグローバル・スタンダードについて行っていないことは明白です。すなわち、彼らと日本の間ではグローバリゼーションのヴァージョンが異なるのです

欧米人は文化や習慣の違いを理解し、 #ダイバーシティ を尊重しています(差別もありますが、それは別で詳報します)。他所でいいものがあればすぐに吸収して標準化したり、逆に自信のあるものを世界へ発信することは、インターネットやSNSのおかげで、特に若い世代では朝飯前のように起きています。彼らはすでに日本が描いている以上のボーダーレスな感覚で、グローバル社会を生きているのです。そして、日本が胡座をかいている間に、アジア諸国は確実に日本のヴァージョンを追い越してアップデートしています。日本がアジアのリーダーなんて話は過去の出来事で、この夥しい速度で変化する時代ではもはや次世代に聞かせる御伽噺となるのは時間の問題です

ヴァージョンアップのために、あなたが必要です

日本は、いつまで地理的不利を言い訳にしましょうか
いつまで、英語ができなくても日本なら大丈夫と言い張りましょうか

実際、日本の元同僚のひとりが、海外に行く予定も、興味もないので、英語が話せなくても全く困らないと言っていました。ですが、 #Tokyo2020 を目前にして、海外からやってくる観光客に「 #OMOTENASHI 」を約束してオリンピックを招致したにも関わらず、英語でのコミュニケーションができなかったら彼らはどんな風に思うでしょうか。世界に誇れる最高級のホスピタリティをいくら提供できたとしても、彼らの記憶は「日本人は英語が話せない」で終ってしまうだけです。グローバリゼーションとは、国境を超えて外に飛び出していくことだけでなく、「日本」という外側の世界へ飛び込んできた外国人を迎え入れることにも当てはまる現象なのです。つまり、グローバリゼーション_Ver.2.0において、英語が話せることは日本にいたとしても必要最低限のスキルなのです。Tokyo 2020が悪評で終ってしまう結果になると、日本はますますグローバル社会から取り残された国になってしまうのではないかと不案に感じています

ですから、日本人はもっと英語のスキルをもっと磨くべきですし、もっと外にも出ていくべきです。もし、あなたが海外でなにかチャレンジしたいと想っているのなら、僕は自信をもって、こうしてお伝えすることができます

「僕ができたので、あなたもできます」

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たった今、英語に自信がなくても、スキルはいくらでも実践で身についていきます。もちろん、日々の学習は必要ですが、飛び出してみたいという気持ちがあるのなら、それだけで国際人としての資格は十分にあります。あなたのその熱い気持ちこそが、グローバリゼーションにおけるグローバル人材の最低条件なのです


長くなったので、僕の話の続きは次回にお伝えします

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