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青木古書店の不思議な一日 その3

仕入れたはずの本は30冊だった。昨夜数えた時もちゃんと30冊揃っていた。それが今日は29冊しかない。無くなった本は30年ほど前に出版された豪華客船の歴史を綴ったドキュメンタリーで、タイタニック号の内部など古い客船の貴重な写真が豊富に掲載されていた。出版後すぐに発行元が潰れたため世の中に出回った数が少なく、マニアには根強い人気を誇っていた。しかし取引価格は一万円前後で特別に高価な類の古書ではない。

「この事件に絡んだ奴が持ち去ったに違いない。でもどうしてあの本を。人ひとり殺してまで手に入れる価値があるとは思えない。確かにあの男は死んでいた。俺は検視官じゃないがそれでもあれだけ間近で確認したんだ。死んでるか死んでるふりかの区別くらいつく。それにしても死体をわざわざ運び出して始末しようとするなんて、殺しがばれないためだとしか思えない。それとも自然死か。だったら死体はそのままにしておいても殺人事件にはならない。やっぱり相当やばい事件か。犯行に加わったのは一人だろうか、それとも複数か。俺の知らないうちに合鍵まで用意して本が届く日を狙った犯行だとすると、あの本を手に入れようとしたのに先を越されたと分かって誰の手に渡るのか調べたんだろうか。だとすると仕入先で情報を掴んだのか。」

青木は一瞬躊躇ったが先程の刑事に連絡することにした。

「古本一冊無くなってるんですなんて言ったらまた完全に鼻で笑われるんだろうか。それでもこれが唯一の手がかりだ。」

「はい、石崎です。」

「青木です。先程はどうも。」

「ああ、青木さん。どうかされましたか。鍵は交換しましたか。」

「はい。あの後直ぐに近所の店から交換に来てもらいました。」

「それは良かったです。それでどうしました。何か思い出したとか。」

「実はあれから仕入れた本の整理をしていたんですが、一冊無くなっていることに気がつきまして。」

「ほう。いつ仕入れたんですか。」

「昨日の夕方届きました。30冊です。昨夜帰る前に数えた時はきちんと30冊あったんです。それがさっき確認したら29冊しかありません。」

「無くなった本は貴重なものなんですか。」

「いえそれほどでは。せいぜい一万円です。」

「念のためお伺いしますが数え間違いではないですよね。仕入れ元には確認されましたか。」

「まだですが絶対間違えてないです。昨日までは確かに30冊あったんです。」

「分かりました。とにかくもう一度お伺いしましょう。ああ、ただ私はちょっと別件が入っていてですね。そうだ。長谷川くん、君、今手空いてるだろ、ちょっと頼むよ。」

しばらく話をしている気配が続いた後、石崎はこう言って電話を切った。

「私の代わりに長谷川という者が伺います。彼は警察省からの出向でとても優秀なんですよ。まあ少し個性的な感じですけどね。後は彼に任せますので。ではよろしく。」

石崎のやる気のなさは電話でも嫌というほど伝わって来た。腹が立つが仕方がない。もし仕事を押し付けられた長谷川という刑事もそんな態度だったらこっちも我慢の限界だ。とにかく話を聞いてもらわないと進まない。聞く耳を持ってくれると良いのだが。」

30分ほどで店に現れた長谷川という刑事はにこやかで物腰も柔らかく、腰も低くかった。

「長谷川です。石崎から概要は聞いて来ました。本が一冊無くなったとか。興味深いですね。どんな本か教えていただけますか。」

これまでと打って変わった対応に青木は若干拍子抜けしながらも、この人なら真剣に話を聞いてくれるかもしれないと期待が湧いて来た。そして昨夜からの顛末と消えた本について話し始めた。

続く




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