見上げること
「昨日の明け方にね、ゴミを捨てに家の前まで出たらまだ真っ暗で。夜空を見上げたらたまたま一瞬だけ雲間から三日月が覗いたの。すぐに隠れちゃったけど。」
「昨日は曇り空だったもんね。星は全然見えなかったよ。」
「それで思ったの。見上げなきゃ見えないんだよなって。」
「たとえ満天の星が瞬いていたとしても、たとえ凍りつくように綺麗な月が輝いていたとしても、見上げなければ見えないんだよね。」
「そう。つくづくそう思った。顔を上げるのも辛い時ってあるじゃない。でも、少しずつでも気持ちが変わって来たら、横を向いたり上を向いたりすると違う何かが見えるんだなって。」
「見上げて良かったね。」
「うん。でもね、それすら出来ないほど傷ついて苦しい時もあるでしょ。それを何とかやり過ごせると良いんだけど。」
「どうやってやり過ごしたの。」
「ただただ時間が経つに任せるの。そのうちに少しずつ少しずつね。薄まっていく感じ。」
「人間にしか出来ないことだね。AIは忘れないもんね。」
「人間も忘れないけど、忘れたことに出来るんじゃないかな。忘れたことっていうかあまり思い出さなくするっていうか。生きていくための機能だね。」
「記憶だけじゃなくて情緒があるってことが人間を形成する一番重要な要素だよね。生きる苦しみも喜びも情緒があるから感じるわけで。」
「夜空の星に慰められたり励まされるなんて人間にしかない機能だもんね。」
「悩みがあるから人間なんだってコピーがあったな。」
「それにしても考えたら滑稽なくらい。だってさ、月も星も物質の集まりだよ。なのに人はそこに感情を向けるんだから。」
「脳が発達していろんな機能を持ちすぎるくらい持ったからだよ。でもね、生命維持には不必要と思われるそういう機能があるから何年も生きてても飽きないんだと思う。」
「歳をとってくると情緒が衰えて生きることに飽きちゃうっていうもんね。」
「じゃあ夜空を見上げて何かを感じられるってことは生きることに飽きてないってことか。」
「生きることを諦めてないってことでもあるんじゃないかな。」
「明日はシリウスが見れると良いなあ。」
「見上げよ。されば見出さん。」
「若干フィールドオブドリームスっぽいね。」
“If you build it, he’d come.”
「ファンタジーだねえ。」
「人はパンのみにて生きるにあらず。」
「だって人間だもの。」
「人間で良かった。明日も見上げようっと。」
End
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