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崇高な憧れと、拗らせた理想。

 向かい風だった。
 タバコの煙に泣かされたから、片目を薄く瞑って息を吐いた夜に再会したのは、もう会わないと決めていた女。待ち合わせ場所は、昔よく来た公園。
 彼女が来るまで、公園の手すりに腰を乗せていた。
 小さな公園だ。ペットの散歩をする人も、自分の散歩をする人も今は居ない。海に近いせいか、たまに潮の匂いがするくらいの夜だった。そのせいか彼女が来るのは、すぐに分かった。

 白と黒のゴシックファッションと首に巻いたヘッドホン。ゆっくり歩いてくる彼女に合わせて動くように、首を垂れる街灯が照らしている。滑らかな黒いロングスカートとブーツは姿勢を整え、相変わらず年齢不詳。

「よぅ、ばあさん……」。オレは、控えめに手を挙げる。
 顔を覆う主張の強いメガネからは今夜はどう映るのだろうか、そんなことも考えながら彼女の様子を伺う。相手は久しぶりに会う人生の先輩だから、多少は愛想よくしたつもりだ。だが、彼女が羽織るライダースジャケットの中で動く肩に怯えていた。
 そんなことには構いもせずに、彼女は隣に来て、手すりに腰を乗せた。

「ビクついてんじゃないよ」。そう言いながらタバコを咥える彼女に、火を差し出した。一呼吸おいて、「久しぶりじゃないか」と柔らかい声でばあさんが言った。
 結晶化した蜂蜜はぬるま湯につけて時間を戻す。ガキの頃のままのオレが、ばあさんの横にいたと思う。
 彼女は、初めてオレが憧れた女性。その強さに叩きつけられ、硬い道を引き摺られようとも、呼吸の中にある魂に触れてみたいと思った女性だ。そして、彼女の背中が作る影は太陽のように暖かく、冷たい物言いはオレに進むべき先を教えてくれた。

 向かい風が、ばあさんの白髪を掻き揚げる。
 この人が泣くことなんてあるんだろうかと思った。それほどに、凛々しい立ち姿は、心配になるほどだった。

「嬉しけりゃ、泣くことだってあるさ」
 そう言って、見透かしたように彼女の横顔が笑う。
 青臭いタバコの煙が鼻息で飛ばされ、夜に向かった。

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