説教じゃなく「私も同じ思いをしたこともあります」がいい
時に人間、愚痴を言いたくなる。なんなら「そうだね」「私も同じ思いをしたこともあります」と共感が欲しくなる。
とはいえ、愚痴を言える行きつけのバーや、心無い相槌を打つキャバクラ嬢の店も知らない。
だから一人言ではなく、かすかな希望をもってSNSに書き込むのだが、これがよくないらしい。フォロワーが乾いたかさぶたのようにポロポロとなくなっていく。そんなに親しく無い人から説教じみた言葉もいただく。愚痴の代償はなかなか大きい。まだ反応があるだけましなのだろうが、でもまあしんどい気持ちの上にしんどさがさらにプラスされる。
X(旧ツイッター)ではいかんだろうと、スレッズに書いてみても同じ。ここ最近、Twitter民はスレッズに移住してきているらしく、似たような説教を受ける。言葉にして吐き出すしかない感情があると思い、吐き出しても責められる。ああ、ここでも正しく生きろと言われるのかなと みたいな顔になる。
お金のない人の、友達のいない人の、行き場のない感情はどこへ向かうのだろう。
飲み込むにしては大きすぎる。我慢すれば風船のように破裂する。せめてネットで吐き出せば怒られる。風呂で熱いシャワーとともに「あーっ」と叫んでみたら、隣の部屋から壁パンする音が聞こえる。スポーツをして発散しろ。旅に出ろ。そんなお金や時間がどこにあるというのだろうか。
共感が解決策でもないことはわかってる。
でも、きょう少し眠れるだけの落ち着きに共感が欲しかったのだ。持たざる者には贅沢だとしても。
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