今までゲームの話題は極力避けてたけど、いっそゲームのこと”だけ”書いちゃうってのありじゃない?
一日の内の可処分時間は限られている。お金は増やせても時間は増やせない。といっても猫暮はタイパはあんまり気にしない性格。同じ映画は飽きもせずに何度でも見るし、さっさと情報収集さえしちゃえばものの10分で終わる作業もあえて情報統制のもと手作業で行ったりする。わりとノリで生きている。たまに無性に寂しくなる時もあるけれど、数日、数週間、数か月のスパンで見ればほんのひと時の時間だと俯瞰している。
全力で喜んで、全力で悩んで、全力で悲しんで、全力で死にたくなるほど苦しむ。そういった落差の人生だし、その過程で死んじゃうのもまぁ仕方ないかな~なんて楽観なのか悲観なのかよく分からない生命体として生活してる。たぶん根っこのほうはめちゃくちゃ悲観なんだけど、なんだかんだ生きれちゃってるから悲観は悲観のままで生きることも出来るんだなぁなんて楽観してるのかもしれない。どっちやねん。
さて、なぞの前置きはほどほどにして本題へ。
最近ドはまりしてるゲームについて、もういっそのことnoteに書いちゃえばいいんでないか??なんて思った。
なんかね、心のどこかで文章とゲームを別々に考えなきゃいけないなぁ、なんて節があった。両者の間に見えない壁があって、互いに不可侵領域を作り出している感じ。おそらく、自分の中で文章は高尚なものとか、一つランクの高い文化だ!みたいな偏見があって、そこにゲームを食い込ませたりしないよう気を遣っていたのかもしれない。いや、誰に。
実際文章を書く時とゲームをする時では頭の使い方がだいぶ異なる。例えるなら使っている脳の領域の問題。ゲームって基本的に前提がある。ルールをいち早く判断する能力と、縛られたルールの中で最高のパフォーマンスを出すために頭をひねったり、ルールを把握したうえで世界に没入したりする。
結構ゲームって自由とは相反する要素をたくさん持っている。まず物理的な制約から。ソーシャルゲームやらモバイルゲームやらであれば場所は選ばないが、少なくともデバイスの前に自分がいなきゃいけない。据え置き型のプラットフォームを必要とするゲームは、最近の流行まっただなか。
目はモニターを見て、指はキーボードにかけておく必要がある。この時点で頭の位置と指の位置は固定される。なんなら椅子に体がガッチリと固定されちゃうのだ。まずこの時点で自由のじの字もなくなる。ここの束縛を受け入れるところから始まる。
続いてゲーム内に課されたルール。ルールを把握することって、つまりは自由度を犠牲にすること。マインクラフトとか、サンドボックス系のゲームならある程度自由度は広く感じるかもしれないけれど、操作一つとってもすさまじい縛りが科せられている。
たとえばブロックを掘るって行為一つとっても次のような感じ。
「特定のブロックの前でマウスの左クリックを継続的に押し続ける(持っている道具に応じて採掘速度は可変する(さらにエンチャントの性能次第でより高いパフォーマンスを発揮する(ブロックの種類によっては適切な道具を使用しないと採掘できない(途中で左クリックを離した場合は採掘工程は最初からとなる(特定の敵から採掘低下のデバフを受けている場合はそもそも採掘不可、もしくは現実的に不可能な採掘時間となる)))))」
とかもう初心者プログラマーが書いたif構文くらいひどい有様なルールが大量にある。もちろん現実世界でも同じように物理法則が働いているから、思考のプロセスとしては一緒かもしれない。でも、ゲームって体感じゃないのだ。全部人間の思考の上で成り立ってる。感覚は嘘なのだ。どちらかといえば脳がゲーム用にチューンナップされているだけなので、現実の処理とは違ったベクトルで処理しなきゃならない。はずなんだけどね。なんか知らんけど最近はみんなできるようになっちゃってる。感覚と思考が一致していってる。これを進化と捉えるか退化と捉えるか難しいところではあるけれど、環境適応って意味では「進化」が正しいのかもしれない。
さぁ、じゃあこの「ブロックを掘る」って行為に、果たして「自由」は存在するのか。といった問いかけもしたいところなのだけど、それは一回置いときたい。置いとくというか、多分私はこれを自由だと思っていない節があるから、次の話に繋がるんだけれど…。
文章を書いたり読んだりするって、すごく開かれていることだと思う。自由度があまりに高い。もちろん文法的な正解・不正解は存在するし、読めない文章はとことん読めない。どうあがいても読めない。ただ往々にして本人の能力だったり『文章慣れ』って要素もかかわってくるかもしれない。「abさんご」様あなたのことです
それでも、文章としては存在している。
仮にゲームだったら間違った入力はそもそも受け付けない。0になる。何も起こらない。ケーブルで接続していないキーボードをかちゃかちゃたーんッしてもウントモスントモいわないし、対応してないボタンを押しても反応なし。もしくは意図しない動作を起こすことも。仮に電源ボタンなんてものだって、その気になったら押せちゃう。まったくゲームもパソコンも目にしたこともない人間が誤操作で電源直接ドーンする可能性だってある。もしくはマウスをボールに見立ててキャッチボールし始める可能性だってある。または、中身を分解して希少金属を取り出して質屋に出してかわりにおいしいごはんを食べる可能性だって…いやないか。ないけど出来るには出来る!
しかし、文章はどんなに間違ったやり方であってもカタチは残る。読めなくたっていいし、意味不明の言語でもいい。地球上に私だけのオリジナル言語を作ってやったぜ!っていって結局自分にすら解読不能な怪文を作ったっていい。とにかく書いた跡は残る。視界に移ればなんでもいい。え、すさまじい自由度じゃない?紙じゃなくてもいい。実際今私が書いてるこの文章は実存上はどこにも存在しない。サーバーの中にデータとして組み込まれているけれど0と1の切り替わりだけで表現されているだけでカタチ自体はないけど、結局人の頭の中に叩き込まれて現実になっている。読めるようになってる。見れるようになってる。これを、実際の紙に書き写すことも可能。ゲームだとそうはいかない。書き写せない。一瞬だけ切り取れても、内在する本質まで物理現象におこせない。砂に書いたっていい。インクもいらない。猫の毛並みの上を指でなぞってもいい。水で残したっていい。パンくずでもいい。髪の毛とかでも、頑張ればいけそう。現す方法は無限大。可能性の獣。
ただゲームに関しては、真面目な話極めれば極めるほど窮屈になっていく。ルールがある以上、理論値がある。RTAなんてその際たる例であると思うけれど、先鋭化していくほどに自由はなくなる。猫暮は窮屈が好きじゃない。共通の正解があるモノがあんまり好きじゃない。正解を導き出すための柔軟な思考だったり過程はすごく大好きだ。ただ結果にたどり着くと途端に面白くなくなる。次に行きたくなる。
ゲームは基本的にそれの繰り返し。もちろん、極めるためには努力も必要。さらにはこの構造に気付いていながらも楽しめる才能も必要なのだ。私は、きっと楽しめる側。窮屈にさえならなければ、喜んで自由にゲームをする。ルールに則ったうえで、ある程度をゆとりを持たせて楽しむ。
でも、文章はその比じゃない。めっちゃ自由。どこまでも自由。なんじゃこら。果てがない。ある意味で結果をださずに無限に過程を楽しんでいる感じなのだ。脳みその隅から隅まで総動員して書きだしている。余すところなく使っている。フル回転だ。書きながら頭を回転させている。もちろん参考文献やら事実確認が大事な内容に関しては入念なリサーチも必要。だけど自分の文章を書きだしている間はなによりも自由なのだ。
そう!!自分について書いてもいいし、何か別のことについて書いてもいい!ゲームにはゲームの主題がある。でも文章にはない。なんだっていい。今日低脂肪乳をテーブルの上にぶちまけたことを書いたっていいし、文章が書けないって気持ちを赤裸々に書いたっていい。なんなら、ゲームについて書いたっていい。文章の中にゲームを組み込んでしまうことも可能だし、ゲームの中に文章を入れることだってできる。変幻自在の快刀乱麻。
ってそうじゃん!!!
ゲームのこと書けばいいじゃん!!
と相成ったわけです。
どんだけ敷衍してんねん。話遠回りしすぎやわ。
でもそれも自由だから!!
文字数稼ぎしているつもりも毛頭ございません。ただ自由に書き散らしたらこうなるだけ!仮にだけど、文章を「自分の人生をよりよくするためのツール」みたいに捉えていたら向き合い方も変わると思う。でも、それすらも自由。文章をどういう位置につけるかも千差万別、十人十色なのだ。自分にとって、文章はコレだ!と断言しちゃってもいいし、ふわふわりしながら永遠と探し求めてもいい。死ぬまでに見つからなくたっていいじゃない。人生なんてほんの一瞬だもの、みつを、って感じに達観したっていい。
いうて文章を仕事の種にしている私のような人間が言うのも、いささか説得力に欠けるかもしれない。でも、そういうものなのだ。文章を書けなくなったら、オッケーじゃあ黙って死ぬね☆ってぐらい最後の砦。
最後の砦っていっても、稼ぎ頭とかいった意味合いじゃなくて、自分が自分であるためにって意味。これが捻じ曲げられたり改変されたりしたら、いよいよマスゲームに順応しちゃった改造人間になっちゃう。ちなみにライダー側じゃない。たぶんショッカー側。
えー話が脱線しまくってきた。いいのよいいのよ。今日は自由にやったらええ。エッセイでも小説でもないんだから。普段からこんな愚かな思考回路回してますよって世間に晒していけばいいわよ。こんなんリアルで垂れ流してたら一瞬で干しネコにされちゃうからね。はーやだやだ。
ってことで
・連載小説が完結したら、ゲームに特化した記事ばっかり書きます!
・期間は、そうだなぁ、大体8月の中旬まで!
・ものは試しくらいの気持ちでね!目標とかないよ!ただの実験!
の三本でお送りします。
来週もまたみてくださいね!
じゃん、けん、ポン!
ウフフフフ
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