見出し画像

noteを書き続けてみて。【3週間目】


ねこぐらしと申します
noteを書き続けることがすっかり習慣化し、今日も今日とて何か記事を書きたい衝動に突き動かされています。

さて、これまでnoteを書き続けてみて、突然とある問題にぶちあたりました。

「あれ、わたし、あんまり自分自身のことを書いてない。」

そう、これまで勉強のアウトプットとして活用するつもりでした。学んで、考えて、記事にする。

ですが奇妙なことに、そういった記事を積み重ねると段々と自分の輪郭がぼやけていってしまう。来歴も人生も、どういう人なのかもわからない。

自分で読んでて「これは一体だれの文章なんだ?」となってしまったんです。

これはまずい!と思いました。いや、何がまずいのかは説明ができません。ただただ感覚的な危うさがありました。私が私の文章を読んで、私の姿がイメージできない。これは由々しき問題です。これでは本来込められるべき情熱も、書いた途端にチリのように散ってしまう。

なので、今回は自分が誰なのかを、少し説明した内容にしたいのです。
自己紹介というほどではありません。わたしの輪郭を少しでも描こうと思った次第です。


一つ、わたしには夢があったことを思い出しました。
私が新卒で入社した会社の新人研修でのことです。

「10年後のあなたがどうなっているか、そのビジョンを書きなさい」という課題がありました。

今の私であれば「そんなものは10年後になってみないとわからないよ」とマジレスしてしまいそうなものです。しかし、雇ってもらった会社に逆らうなんて選択肢は当時なく、何回かリテイクをくらいながらも、大真面目にひねり出した答えがあります。

それが「スタッフロールに名前がのること」でした。

実際はスタッフロールでなくとも良かったと思います。
元々映画スキというのもあり、スタッフロールという具体的なビジョンがわかりやすく、パッと頭に浮かんだのでそう書いただけ。

本命は「名前を残したい。」ということでした。

自分が何かに関わっていたんだ。そんな証拠をどんな形でもいい、形があって見えるものとして遺したかった。


しかし、スタッフロールにのるような仕事かと言えばまったくで、自身の能力の欠如も相まって、成功体験とはほとほと無縁の社会人生です。

しかし、これまで仕事の中で様々な人から感謝されたことも多い(記憶上では、怒られたことのほうが多いですが)それで十分じゃないかと、何度も自分を納得させようとしました。

「きっと人の記憶というスタッフロールには、君の名前が刻まれているよ。君はクリエイターでもない。何かを創れる人間ではない。それで十分じゃないか」

これでいい。これでいいはず。自分は多くを欲しがりすぎだ。謙虚になれ、と。

しかし、納得ができなかった。実感がわかないのです。確証が掴めないです。10年近く自己暗示をかけ続けていましたが、わかったことといえば、私がそれで矛をおさめられる大人ではなかった、ということだけでした。

そもそも、仕事でなくとも、友人の中のスタッフロールには「友人:ねこぐらし」とすでに刻まれている。それとこれとは話が別でした。


形が欲しかった。

幼い頃から自身の将来を絶望し、感情に振り回されて自堕落な生活をさんざん過ごしてきました。私は生まれつき、感情の制御ができない障害を抱えていました。

いろんなモノを壊して、それでも賢明に生きようと、死にたくなる夜を幾度も越えて、必死に必死にもがきました。倒れてまた立ち上がって。

ですが、そうしてもがいた形跡はどこにも残っていない。

友人の前では「友人たれ」と振る舞っている私です。
心配をかけさせないように、場をしらけさせないようにと、常に自分でない友人としての仮面を被って過ごしている。もちろん、すべてが嘘、というわけでありません。ですが、私のこころの根っこのほうは、土に埋まったままで日の目を見ることはありません。

少なくとも、友人のスタッフロールに「絶望的な人生を這い上がってきた人:ねこぐらし」と名前がのることはない。

「辛い」という一言では言い表せない絶望の日々は、まるで私のずっと内側に未だ籠もったまま。
そしてそのまま、他ならぬ私自身と心中しようとしている気がするのです。


「書く」という媒体に巡り会えたことが嬉しいのです。

これまでもブログサービスはいくつもありましたが、赤裸々に書くという点に関しては、noteほど書きやすい媒体はありませんでした。

だからこそ、わたしの暗い部分もこうやって表現することができる。私はここに自分の人生の記録を遺したいのです。

もしも自分が自己開示をせずに、内に秘めたまま死んでしまったら「本日の死亡者:1」というただの記号として処理され、単一のデータとして流されてしまう。

ですが、ここにわたしの記録があれば、それは何重にも意味のある「1」になる。ただの1にならない為に、わたしは精一杯「書く」のです。

偉くなりたいわけではないし、社会的な成功も、その実要りません。
結局、この記事で言いたいことはいえば、ただ「私自身のスタッフロールを私自身で書こう」と決意しただけ、というなんとも滑稽な意思表明をした形になりますね。はい。多分、間違ってません。自分でもおかしなことを言うな、とは思います。

先人noter様によれば、どうやらこの先noteを継続していくとイイことが起こるらしい、です。

今は、ひどくひとりよがりな書き方になっていると自覚しています。
ですが、人との繋がりを実感できたり、読者に対してもっともっと誠実になれたり。待ち遠しい限りです。

まだまだ実感はわきませんが、その言葉を信じてこれからもnoteは続けていきたいと思います。


以上、とりとめのない文章でしたが、ここまで読んでくださってほんとうにありがとうございます。
手間勝手な人間ですがこれからも、どうぞよろしくお願い致します。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?