片手にクロコ、心に諧謔、唇にルージュ、背中に現実
現実的で、でも現実的すぎない格好をしている人って素敵だ。
*
それはあるとき電車の中で。
おそらく娘さんであろう、わたしと同い年くらいの人と連れ立って、ご婦人がひとり乗ってきた。わたしの少し先に、立っていた。
そのご婦人はベージュのベレー帽に、白くて太いつるが、網目みたいになってるお洒落な眼鏡をかけていた。
正面のフレームは濃茶か、あるいはべっこうみたいな色で、横だけが白くなっている、一目見て珍しいってわかるもの。眼鏡屋でいえば、リュネット・ジュラに置いてありそうな。
白い眼鏡って扱いがとても難しそうなのに、その人はすんなりとかけていて、洒落ものの眼鏡はやっぱり、ある程度年齢がいってからだととても素敵に映るよなあと、わたしは羨望のまなざしでそれを眺めていたのだった。
彼女はまた、装いも魅力的だった。
前が少し長くなっている、変形の黒い革のジャケットを着て、同じ色のジョッキーブーツに黒い革のパンツ。
小さなクロコのバッグを持って、黒い毛皮の襟巻きをして。
ワントーンできめられた流れるようなスタイリング。眼鏡と帽子も相まって、視線が上に集まるようにきっちり計算されているから、とてもバランスがよく見える。
それにクロコのバッグと毛皮のおかげで、革のジャケットもパンツも、”どぎつく”になることから逃れ、品よくまとめられている。
なんていうのだろう。きちんとすべきときにはきちんとした格好が出来る人の、これはカジュアルな遊び着なんだろうっていう雰囲気。
モデルみたいに抜群の体型でなくても、年齢を重ねても、これだけ攻めた服装を、これだけ自分と調和させられるなんて、とても素敵にお洒落を楽しんでおられる人だなと思って彼女を見ていた。
でもレザーパンツって、伸びたりとかしないのだろうか。それに、動きにくくはないのかしら。そんな、余計なことをすこし考えた。
そのときちらりと彼女の背面が目に入って、わたしはとても驚いた。
なぜって、彼女が履いてたそれ、後ろ側はまったく違うものだったのだ。
わたしが見ていた彼女のボトムの前身頃、それはたしかに黒いレザーだったのだけど
うしろ半分は異素材。なんと黒の、どう見てもストレッチが効きそうな、ジャージーみたいな生地だったのだ。
それを見て、わたしは思わず目をまるくして、でも同時にそのご婦人の現実味にとても好感を抱いて、改めて彼女のセンスというか、ユーモアに脱帽した。
正面から相対しているときは、”お洒落は我慢”も辞さないような完璧な様子でいるのに
後ろ側にこっそりと、動きやすくて快適な仕掛けを隠しているなんて
現実と理想のバランスの取り方の、なんて上手な人だろう!それに、そういうのってとてもお茶目だ。
”いつまでも痛くなる靴やきつい洋服に、耐えるお洒落ばかりしてられないわ。十分大人になったなら、もう少し賢くやらなきゃね。”
そうすればいつまでも、楽しくお洒落をしていられる。そんなメッセージを彼女の装いから受け取ったような気がして。
さっきまでは格好いい女性だと思っていたのに、なんだか急に彼女が愛らしくも見えてきた。わたしもそんな風に、ユーモアで現実と折り合いをつけて、いつまでもお洒落を楽しんでいられたらいいなと思った。
*
片手にクロコ、心に諧謔、唇にルージュ、背中に現実。
いつかもっともっと大人になって、いろんなことが変わっていったらそのときは、
わたしも彼女みたいに、現実と遊ぶようにして洒落込んで、みたいな。
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