西行の足跡 その27

25「深く入(い)りて神路の奥を尋ぬれば又上もなき峰の松風」 
 御裳裾河歌合71
 伊勢神宮の御山である神路山に深く入って、さらにその奥を尋ねていくと、この上もない峰、霊鷲山から吹くのと同じ松風が吹いてくる。
 
「神路の奥」というのは象徴的な言い方であり、そこに特別な何かがあるというものでもなさそうだ。「太神宮の御山」を「神路山」と言ったのである。それは、「吉野の奥」に何度も触れながら、実際には憧憬の地として、理想郷としての吉野を指すことと同じであろう。
 
 西行は「吉野の奥」にこだわりがあった。大峰、宮滝、吉野川の源流の巴が淵などの具体的な場所もあったが、憧憬の象徴でふる「吉野」という意味だったのだろう。それと同様に、「神路の奥」とは「伊勢」そのものだったのだ。
 
「岩戸あけし天つみことのそのかみに桜を誰か植ゑはじめけむ」 
 御裳裾河歌合1 山家客人
 神代の昔から桜があった。神々は桜を愛した。天地開闢と伊勢神宮の始発は一体である。そのような思いが、国と神と花、日本と伊勢と桜、という対応が一点に収束していく。
 
「さやかなる鷲の高嶺の雲居より影和らぐる月読(つくよみ)の杜」 
 御裳裾河歌合4
 月は釈迦が説法した霊鷲山の空を清澄な光で照らしているが、ここ伊勢神宮内宮別宮月読宮では、日本の人々を救うために光を和らげている。
 
「和光同塵」ということばがある。その意味は、自分の才能や徳を隠して、世俗の中に交じってつつしみ深く、目立たないように暮らすことである。「和光」は才知の光を和らげ、隠すこと。「塵」はちりのこと。転じて、俗世間。「同塵」は俗世間に交じわる、合わせること。しかし、仏教では仏や菩薩が仏教の教化を受け入れることのできない人を救うために、本来の姿を隠し変えて、人間界に現れることをいう。それは「本地垂迹」でもある。日本の神は、仏や菩薩が人を救うため、神の姿を借りて現れたということ。また、そのように仏教と神道とを融合させた考え方を指す場合もある。
 
「神風に心やすくぞまかせつる桜宮の花のさかりを」 御裳裾河歌合3
 伊勢神宮に吹く風は神風なので、その風になら安心して身を任せられる。内宮摂社の桜宮は今、格別の桜の花盛りを迎えている。
 
 このとき西行は、神様に全てのことをお任せしようという境地だったのかもしれない。

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