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根拠のない思い込みは自分を苦しめるだけだった。

2024年4月14日。
明日は母と待ち合わせをして父のお墓参りに行く。先ほど近くの花屋さんに花を買いに行き、ついでにパン屋さんの前を通りがかったのでパン・オ・ショコラを1つ買って帰宅した。

以前の私ならパンを「1つだけ買う」ことができずに、もう1つ何か買って余計な出費をするか、何も買わないか、どちらかを選択した。いつも他人の思考を推察して、「相手が困るんじゃないか」という謎の遠慮をかましていたからだ。(何も買わないより、1つ買った方が売り上げに貢献するのにね)

突然ひらりと現れて爆走するこの妄想族は、自分の行動を狭めるだけでなく、周りの人まで困らせていたかもしれない。常に「どうすることが正解なのか」をはじき出そうとして、本音を言ったらダメだ(私の考えなんて間違っている。変だと思われる)に取り憑かれていたからだ。

遅いお昼ごはん。
ほうれん草のサラダにはセロリとトマト、ベーコンを。
ドリップで淹れたアイスコーヒー。
(最近自分の淹れるアイスコーヒーにどハマり中)
ほとんど漫画を読まないけれど、インテリア好き&帯に描かれていた
「人はもっとじぶんに優しくなっていい」に惹かれ。
この言葉に頷きすぎて、もうすぐ首がもげる。

亀をいじめたのか、雀の舌を切ったのか、「前世で私は一体何をしでかしたんだーーッ!!!」と、頭上の月に向かって遠吠えのように叫ぶほど、どん底に次ぐどん底なのはバチが当たったからだと本気で思った時期もあった。
このタイミングでお金があったら、続々と壺と印鑑を購入し、「まだ壺が足りないから這い上がれないのだ」とコレクターと化して横一列に並べていたかもしれない。
いや今だって底は底なのだが、思考の変化により「人生の転換期なのだ」と思うようになった。と同時に、「素直になろう。少しずつでも本当の自分を出そう」と思うようなった。


他人優先で本音を言わない私には、関わりたくないような人たちばかり寄ってきた。しっしと追い払っても、今度はまた違うバージョンの関わりたくない人たちが寄ってきた。なぜいつも苦手なズルい人ばかり「ヨオヨオ、仲良くしようぜ!」とガッツリ肩を組みにやってくるのか。
或いは今度こそ良い環境だと思っても、なぜそのうち「あれ?」と思うようなことが起こるのか。

答えは簡単なことだった。
生きたいように生きられないのは、素直に「私はこうしたい」「これは嫌だ」を発信しないからだ。意見がないのではない。しっかりと自分の考えや好き嫌いがあるのに。
根拠のない思い込みを爆走させ、いい人と思われたいカッコつけを拗らせて、他人を満たすことばかり考えていたのだ。しかもそれが「シェーッ!」と言いたくなるようなおそ松、いやお粗末な見当違いだったというオチまでついて。

サポートしても良くってよ。