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御言葉の黙想 マタイによる福音書23章37節ー38節 2024年7月18日

本文:
「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めんどりが雛を羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。
見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。

黙想:
今日の本文は、他の共観福音書のルカによる福音書にも並行する箇所がある(ルカによる福音書13,34-35)。その他の福音書には並行する箇所はなく、聖書学ではマタイとルカだけが共有した資料の存在を想定している(Q資料)。原文の細かいところに違いはあるものの、並行する箇所はほぼ同じ内容を伝えている。

神は何度も悔い改めることを求めてきた。何度も救いの手を差し伸べてきた。しかし、エルサレムは悔い改めない。自分に使わされた神の使者たちを何度でも石で打ち殺す。
イスラエルは神の長子である(出エジプト記4,22)。神はご自身の子を守るために奔走してきた(23,37)。だが、イスラエルは救いの手を拒んだ。
その答えは滅びである(23,37)。主は生けるまことの神である(テサロニケの信徒への手紙一1,9)。世界とその歴史は主の御手の中にある(詩編135,6)。主はこの時代を裁かれる(マタイによる福音書23,36)。
誰も神の前で誇ることはできない(コリントの信徒への手紙一1,29)。主は今でも悔い改める人を待っておられる(使徒言行録17,30)。

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