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マンガ『ケッペキとずぼら』3話 - 「発達障害なのでは…?」について

お馴染みのみんなも、初めましての皆様も、こんにちは! 弓木らんです。
ダ・ヴィンチニュースで 『ケッペキとずぼら 〜正反対の2人と1匹が仲良く暮らすコツ〜というエッセイマンガを描いています。

本日のこのnote記事は、その中で描いた「第3話」とセットで書きました。
不慣れでめちゃめちゃ長い文章になってしまったので、気になるところだけサクッと読んでいただければ幸いです。
全部読まなくて大丈夫です。長いですほんと。ごめん。

↓ちなみにその「3話」がこちら(飛ばしても大丈夫!)

|事の経緯

今回、若かりし日のバイト先での失敗談を描いたこの第3話をTwitterにupしたところ、多数の反応をいただきました。

読んでくださった方、さらにメッセージまでくださった方、本当にありがとうございます!一つ一つ、大切に読んでいます。

その中で「これは(ズボラというより)発達障害では?」というコメントが多く寄せられたので、お答えします。

|実際どうなのか

結論から行きます

はい、そうです!
私は発達障害です。
医師の診断結果は「ADHDベースの人」とのことでした。

※ちょっと表現が曖昧ですが、実際にこう言われました🤔
「ひとまずADHDは確定だけど、ASD(※)もあるかもね(今はまだすぐには判断がつかない)」みたいなニュアンスなのかな…と思っています。また機会があったら先生に聞いてみようかなと思っています。
(※ASD…自閉スペクトラム症)

いろいろあるけど、元気です

このマンガのエピソードは、過去20代だった頃(10年以上前)の話で、アラフォーに差し掛かった現在ではおかげさまで自分に合った職場や環境を少しずつ見い出し、特性も落ち着いてきているのかな〜と自身では感じています。(たぶん…?)

やらかしの思い出は、思い返すたびに「アアア〜〜〜」と変な声をだしてクッションに顔うずめてますが…。。
大丈夫です!
そりゃもう色々ありますが、、なんとかやってます!
心配してくれてありがとうございます!

|作中の表現について

「ずぼら」を蔑称で使ってないよ

それからですね、もう一つお伝えしたいのが、作品上「ずぼら」という単語を使っていますが、蔑称(わざとだらける・ダメなヤツ)や自虐として使用していないよ〜!ということです。

ただし「言い方」によっては蔑称にもなりえますよね。。「ブタ」の存在は悪じゃないけど、「このブタが!」って言ったら悪口になるように。

だから、ずぼらという単語を聞いて不安を感じる人がいらっしゃるのもすごくわかります。今までそうやって傷つけられてきたんだもんね。わたしもたくさん傷ついてきました。
でもずぼらの存在自体に善悪はないはず。

国語辞典に準じて、「本人の意思の有無」や「それが迷惑かどうか」とは関係なく「行動」や「様子」などの “ガワ”を形容することば として「ずぼら」を使用させてもらってます🙏

まとめると、

  • 「ずぼら」自体は悪い事ではない(存在自体に善悪はない)

  • 「ずぼらであること」と「ずぼらで迷惑かけること」は別々のこと

  • もちろん迷惑をかけた場合、それはずぼらかそうでないかに関係なく、とにかく「ごめんなさい案件」です…!🙏

ずぼらか、ずぼらじゃないか

「あなたのそれはずぼらじゃない!」というご意見も多数頂いたので、ちょっとそこにも触れさせてください!

大半の方が、気遣いと優しさからそうおっしゃってくださってるのはとても伝わっています!ありがとう!

大丈夫です(?)私はずぼらです(笑)
でもおっしゃることも半分は間違いでないです。たしかに、ずぼら “だけ” ではないですもんね。

「ずぼら」だし、「発達障害」でもあります。
でも発達さんさんがみんな私みたいか?といえば、そうではありません。特性は人によってほんっとに全然異なるし、発達さんじゃなくても私とそっくりなやらかし経験のあるずぼらさんだっていると思います。
人間みな誰しもハイブリットでグラデーション🌈

いやでも…マンガの内容的に 発達障害=ズボラ の構図になっちゃってるかもな…そのあたりは私の見せ方…というか、腕が足りてなかった部分です。…ごめん。

診断が降りた時にはすでに連載が走り出していたという事情もあり、ひとまず作中ではあえて名乗らなくてもいいかな? というのが当初の意図でした。

そして世の中には、ご本人が本当に困りを抱えて苦しんでいるにもかかわらず「何らかの診断」が降りなかった人たちもいます。
彼らはそのせいで、周囲に困りや痛みそのものを気のせいだと否定されたり、苦しみがあたかも無いもののように扱われ、苦しんでいます。

事情があって診察を受けたくても受けられない人もたくさんいます。
家族の合意やお金や時間、気力など様々なハードルを乗り越えたとしても、正式な検査ができるクリニックの数自体も非常に少なく、その中でも初診は断られるケースも多く、最初の一歩すら繋がることすら困難なのが現状です。

診察を受けたくても、受けられなければ、受けずに生きていかなければいけないんです。

発達障害と診断された人だけが「許されたズボラ」で、診断が降りていない人は「悪いズボラ」でしょうか?

昨日までズボラで迷惑をかけていた人が、発達障害とわかったら今日から迷惑じゃなくなりますか?

そういうことを、ずっと考えています。

そしてこれから先どのように表現していくのがよいのか、振り返って考えてみたいと思います🙏

ではでは、良かったらこれからも応援してくれたら嬉しいです!!
またね!(σ´∀`)σ+*゚。*。゚*



|もしかして私も診察を“受けなくちゃいけない”の?と思われた成人の方へ

数多くいらっしゃるの当事者の様々な考え方の中の、あくまでの一個人の考えとして受け止めていただければと思います。

どっちでもOK

「これは発達障害ですね。病院へどうぞ(真顔)」

というコメントがたくさんついたので、(※コメントを責めるつもりはありません!)読者さんの中に「もしかして自分も発達障害…? 迷惑…? 病院に行かなきゃいけないの…?」と突然不安に思ってしまった方…どうぞ怯えないでください!!
行っても行かなくてもどっちでもOKだし、あなたが決めて大丈夫です!

「行かない」と同様に「行く」のもあなたが決めていい事です。
他人に「気のせい」とか「あなたは大丈夫」と(たとえ好意で)言われたとしても、
「自分の辛さは気のせいかもしれないから、もっと頑張らなきゃ…我慢しなきゃ…」と思う必要もないってことです!
他でもないあなた感じる痛みです。あなたが決めていいです。

  • 困ってなければこれまで通りそのままのあなたでOK

  • 仕事や生活に支障があったり「なんかつらい」場合は我慢せず専門機関や病院へ(素人には判断できない。他の病気の可能性もある!!)

  • どちらでも、自分で決めていい

もちろん、本当に心配して聞いてくれる人もいます。
そんな人ならきっと「困っていることはどんなこと? あなたはどうしたい?」と実際に手を貸してくれます。
同僚なら仕事のタスクを一緒に整理してもらったり、友人ならお住まいの地域にある行政や病院探したり、不安なら電話をかけるのを一緒に手伝ってもらうのもいいと思います。

もしそれを嫌がられたら、ただのいじわるか野次馬なので距離を置こう。その人は味方じゃないです。
もしかしたらその人は 闇堕ちした同類 とか 闇堕ちした同類に振り回されて病んだ人 かもしれません。それはそれで気の毒ですが…、やはり一緒にいるとあなたが削られます。距離を置こう。

もしこの先あなたが誰かに「良かれと思って・ためを思って」などと何かを言われたとしても、あなたが直感的にそこに優しさや思いやりを感じなければ、基本スルーでOKです。初手の直感が大事です
「迷惑だから病院に行って治して来い」というニュアンスが含まれていたら、その言葉は受け取ってはいけません…。そういう人の大半の目的は意地悪をすることだからです…。

そもそも本来プライベートなことなので、誰かに「発達障害ではありませんか?」「病院に行った方がいいのでは?」言われても、それに対してあなたはなにも答えなくて大丈夫です!

病院に行ったら解決… しません😂 (でも無意味じゃない)

※ここから絶望的なことを書き連ねているのですが、個人的に私は「辛さを感じているならいち早く専門の病院に行ったほうがいい!」と思っています!その前提でお読みください🙏

これはお医者さんにも初めに念押しされた事ですが、残念ながら、もし「発達障害」の診断が下りても、その特性はなくならないし、身の回りのことも何も変わりません…。

ADHDなら薬もありますが、あくまでもその役割は「治療」ではなく「補助」だし、効く・合うとも限らないです。ASDは薬すらない(※)です。

※専門薬はないけれど、向精神薬で感覚過敏などを和らげたりできるケースはあるそうです

今日診断が下りても、昨日と同じ明日です。
生きやすくはなりません。
周りからの扱いも良くなりません。

周りの人に説明したら、情報としてはわかってくれますが…すぐに理解はできません。
その人の頭に今までなかった概念を、一晩でインストールするのは無理なのです。
それが当たり前です。家族であってもです。

新しい概念というものは、「ただの情報」から時間をかけてゆっくり社会や生活に浸透して、肌で感じて、やがて実感を持って理解されていくものだからです。

そしてその感度は、受け取る人によってだいぶ差があります。

それと同じようにあなたも、この「定型ワールド」で生きていくために、その日から定型発達者のしきたりやオキテの概念を、理解できなくとも インストールしていかなければならないのです。
(※「認知行動療法」という方法もあります)

でも!!!!

ここからがめっちゃ言いたいことです

でも です!!!!

同様に、いきなり生きづらさや痛みが倍になったりもしません。

これまで
「あなたは、あなただ」と、「他の誰でもない “あなたそのもの”」を見てくれていた人たちもまた、以前と変わらず同じまなざしで側にいてくれます。

そういう人たちのことだけを信じて、私は生きています。

診断を受けて良かった、ただ1つのこと

ここまで、受け取り方によっては絶望的なことも書いてしまいましたが…、私自身は診断を受けて良かったと思っています。

なぜなら、
私がこれまでずっと感じてきた生きづらさやその痛みが「気のせい」ではなく「真実」だったと、ついこの間やっと知ることができたからです。

逆に言えば、その1点以外は、以前と何も変わらない…と言っても過言ではないのですが…😂

でもこの1点こそが、本当に救いでした。

おそらく医師の診察を勧めてくださる方が大勢いらっしゃるのは、この「救われた」という当事者の声をご存知だからなんだ思います。(みんな優しい)

だからこそ、まだ病院に辿り着けなかったり、行った結果診断が降りなくて現在進行形で苦しんでいる人達のことの存在を忘れません。


|おわりに

今回この漫画を描いて、思いがけずたくさんの共感やフレンズにいっぱい出会えてめっっっっちゃ嬉しかったです…!
みなさま全ての反応をひっくるめて本当に描いて良かったと思えた回でした。ありがとう…!ありがとう…!

良かったらまたマンガを読んでくれたら嬉しいです!
こんなに長い長い文章を、最後まで読んでくれて本当にありがとう。すごい!

それでは、またね!(σ´∀`)σ+*゚。*。゚*

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