Design&Art|デザインを探して 〈04. 車窓で旅をして〉
街の風景を窓に描く路面電車は、まるでうごく映画館みたいだ。なんて、空想にふけることがたまにある。
反復する街路樹と北欧らしい石造りの壁、どこかへ向かう人々、なにかを訴えている広告看板。空、風、雨、そして光。
なにかが関係しているようで、実際は関係もしていない小さな街の要素が、予測しない速度で、タイミングで、目の前に差し込まれてくる。まとまりのない物語が走馬灯のように、近づいては遠くに過ぎ去ってゆく。
前回のコラム〈03. 光の地下散歩〉では、ヘルシンキの地下に広がる美しい光の風景をメトロの窓を通じてお届けしましたが、今回は、地上の世界を旅します。
街を縦横無尽に走り抜ける、ヘルシンキトラム。元々は馬車鉄道だったものが電車へと変わり、今では市民の交通の要となっています。便利である、ということは言うまでもありませんが、それを上回る魅力がこの“うごく映画館”にはあるのです。
ひとつは、大きな窓。
バスや列車よりもガラスの占める面積が多いトラムの窓からは、前、横、後ろのどの方向を見てもにぎやかな街の様子を眺めることができます。日本と比べてフィンランドの公共交通機関は広告が少ないため、自然と外の風景に目がいきます。
トラムは車道の中央を走るので、右側に座っても左側に座っても、車窓の風景を楽しめます。
もうひとつの魅力は、穏やかな速度・街との距離感です。
たとえば新幹線は、あまりに速く走るがゆえに風景は風のように過ぎ去ってしまい、飛行機では、街の建物は豆粒のように小さく目に映ります。
バスやタクシーはほどよい速度と距離で街を走りますが、頻繁に停止と発進を繰り返すため、時に車窓の風景は途切れてしまい、体験としては映画というより写真に近いような感じがします。
対するトラムは、速度も距離もちょうどよい。車のように急停車することもなく、穏やかに街の中を走り抜けてくれて、なんとも心地が良いのです。
窓越しに人の温度がほのかに感じられる、その感覚がなんだか映画の没頭感に似ていて、まるで映画を見ているよう、というより映画の中の登場人物として街を体験しているような、夢見心地の旅が車窓を介して楽しめます。
市内の主要なランドマークを次々と巡れるのもトラムの魅力。見慣れたヘルシンキ中央駅も、窓枠の中では舞台美術のように見えてきます。
中央駅を通り過ぎて、しばらく北へと向かって進んでゆくと窓に映る緑と青の色彩は徐々に増えていきます。
まるでなんてこともない風景なのに、心惹かれるのはなぜでしょう。
名前のつかない物語の数々が、一筆書きのようにつづいていきます。
地下を走るメトロでは真っ黒な画面が視界の多くを占めていましたが、地上を走るトラムの車窓はどこを切り取っても色鮮やかで、きらきらと輝いています。しかしそれは「目に見える色彩」のことではなく、人や自然、空間に内包される物語性というか、生命感のような意味でのかがやきです。
本来「映画」とは、言葉の通りただの動く絵(画)だったわけで、トラムに対するうごく映画館という比喩はけっして大袈裟ではないはずです。普遍的な風景の中から自らの視点で美しさやおもしろさを見つけ出す能動的な行為もまた、ひとつの映画のあり方だと言ってもよいと思うのです。
「映画のような日常」は、決して空想の世界にしかないものではなく、いつもそばに、もう目の前にあるのかもしれません。
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