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私だってバカにされたくないよ(怒)!!!

 最近の自己分析の記録。最近湧き上がってきた強い感情、それはバカにされたくない。今回はバカにされるってどういうことか、なぜバカにされたくないのかについて考えてみる。

  「バカにする」は次のような言葉で言い換えられると思う。見下す、軽蔑する、過小評価する、人でない者として扱う、命令する、上から目線で接する、甘く見る、など。さらに具体的な行動で考えてみると次のような行動があると思う。話を聞かない、無視する、冷笑する、仲間外しにする、など。

 私は誰かをバカにしようと思ったことは無い。しかしもちろん私も人間なので人生の中では人をバカにするつもりはなくてもバカにしたと捉えられたり、そういう態度に飲み込まれたことはあると思う。だけどどうしても記憶に残ってしまっているのはバカにされたことだ。

 20歳になるくらいまではバカにされることを受け入れてしまっていた。その理由の1つは単に抗うことに面倒くささを感じていたから。バカにされることを我慢すればその時は対立から逃れられる。しかしそのもやもやはその後も自分を苦しめることになる。もう1つは自分で自分のことをバカにしていたからだ。私は自分が迷惑な存在だとか自分を手段にして誰かが幸せになってくれたらいいと信じていた。そういう強い呪いのような感情がバカにされることを肯定することを手伝ってしまっていたのだと思う。

 「あなたなら許してくれるでしょ」「あなたが我慢すればいいじゃん」「あなたにも非があったんじゃない?」「バカにされるようなことをしたなら仕方ないじゃん」そういう言葉がいまだにフラッシュバックする。今なら本当に私だけが悪かったのだろうかと思う。トラブルにおいて私だけ若しくは相手だけが悪いなんてことの方が珍しいはずなのに、事あるごとに私は自分が誤ったり我慢することでトラブルを解決してきたように感じる。そんなことを繰り返していたからこそ相手にどうせまた誤ってくれるだろうとか我慢してくれるだろうと思わせていたのかもしれない。

 なぜバカにされたくないのか。それは自分が自分に誇りを持っているからだ。バカにされるとは感情を抑圧することにつながる。もうその苦しさは味わい尽くしたと思っている。だからこれからはバカにされるような関係は勇気を持って絶っていくし、バカにされたときはバカにした者を許さない。というよりこれまで馬鹿にしてきた人のことも許さないし、彼らを尊重する気はない。これって冷たさかもしれないけど、もう10代のように心も若くないし私の愛を無駄遣いしたくないのだ。バカにしないしバカにされない、尊重し合えるような対等で愛のある関係を求めて生きていくのだ。


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