発展した社会って、何? るみ的ソシオロジー@ハノイ

ハロン湾に向かうバスの中で。

ハノイの旧市街にはギャラリーがたくさんあって、ぼーっと歩いてるだけでパッと目に飛び込んで来るような強烈に鮮やかなお店がすごく新鮮だった。

ハロン湾のツアーに参加したとき、ハノイから4時間もバスに揺られていく途中でサービスエリアみたいなところに寄って、また例のごとくコントラスト強めの大きな絵画と気が遠くなりそうなくらい細かい刺繍絵画が売っているのを見た。SAの一部が絵画や刺繍の制作所兼販売所みたいになっていて、「実演販売なんてずいぶん気合い入ってるなあ」と思いながら見てまわってバスに戻った。

バスがまた走り始めてしばらくすると私の前に座っていたドイツから来たご夫婦が現地のバスガイドにこんなことを聞いていて

「さっきのSAで働いている人たちはハンディキャップを持った人が多かったようにみえたけれど、何か理由があるの?」


確かに絵を描いている人もセールスをやっている人も、目に見えてハンディキャップを持った人たちが多くいた気がした。私も気になってその会話に耳を傾けていたら、バスガイドの第一声が聞こえて


「彼らは、ベトナム戦争の被害者なんだよ」


それから彼はベトナムの簡単な歴史、ベトナム戦争のこと、彼らはベトナム戦争のとき枯葉剤をまかれた世代の子孫で、未だにその遺伝子への影響に苦しんでいる人がいること、さっきのSAはそういうハンディキャップを持った人たちが自立して生きていくための支援団体と協定していて、脚が短く歩くのが難しい人には座って出来る作業を依頼したり、腕が動かしづらい人にはセールスの仕事を依頼したりと彼らが「自分で生きていく」ために働く場になっていることを話してくれた。

歴史の教科書に載っていたベトナム戦争、凄絶な戦争だったことも紙の上ではなんとなく理解していたけれど、「過去の」出来事じゃないんだってことを初めて実感した。バスガイドの彼はforeignerである私たちにも分かりやすいようにゆっくり丁寧に説明してくれて、一通り説明し終えると「何かわからないことや質問があれば何でも聞いてね」と笑顔で言った。けど、私も、質問をしたドイツ人ご夫婦も、しばらく緘黙していた。


私は遠い過去の出来事だと思っていたことが突然に目の前に突き付けられた衝撃に苛まれながらも、ベトナム人の強さというか、言い表せない何かに心を打たれていた。

変えられない過去と現実を「みんなで」受け止めて、隔離したり特別扱いしたりするのではなくて「同じように」社会で生きていこうというシステムを作っていること。高層ビルが立ち並んでいて、AIが人間の仕事を...なんて騒いでいる社会よりもずっと温かくて、むしろ発展した社会だとおもう。


社会をはかるモノサシって何なんだろうな、とおもった。




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