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【自己紹介】らふさんって何者?

自己紹介をしておきたいと思ったのでつらつらと書いていきます。気が向いたときに、随時更新しています。

ちなみに、らふはウイスキーのラフロイグから取っています。


農家の生まれから外資系エンジニアに

私は、地方の田舎に生まれた農家の一人っ子です。
でも、今は外資系のエンジニアをしています。

農家の一人っ子=跡取りということで、あんまり実家の外に出させてくれないイメージを持っている方もいるかと思います。地元に生まれて農家を継いで、そのまま地元で一生を終えるようなイメージです。

でも、私は実家を出て他県の大学に進学し、農家とはまったく異なるエンジニアをしています。これは自分の地元にとってはなかなかのレアケースで、周りの同世代を見ても他県に出ていった人自体がかなり少ないです。

農作業の手伝いに帰省すると、近所の人は「〇〇(私の本名)くんがトラクターを運転していると安心する」と言ってきます。

これは遠回しに「帰っておいで」と言う意味です。そんな世界です。

自分はそんな閉鎖的な環境が、幼少期から高校卒業まで嫌で仕方ありませんでした。「大学進学で外に出ないと一生後悔する!」と強く思うようになっていきます。

研究者に対する憧れが芽生えたのも、結構早いタイミングでした。

意外にも、両親は快く他県の大学に行くことに賛成してくれました。これは自分にとってはとても幸運なことで、大学院まで行かせてくれた両親には本当に感謝しかないです。

少年期に海外の文化に初めて触れる

また、英語は親がホストファミリーをしていたこともあり、外国の文化に触れる機会が多かったのも今の生き方に影響しているように思います。

外国の文化に現地で本格的に触れたのは11歳のとき。人生初の海外旅行で、実家に数ヶ月ほどホームステイしていた両親の友人にカナダまで皆で会いに行ったときでした。

家も大きいし、ピザもでかい。そういう文化の違いも面白かったのですが、一番衝撃だったのは自分と同じ年くらいの小学生が午後2時にチラシ配達のバイトをしていることでした。

「え、学校はもう終わってるの?」
「もう働いてお金を得ることもできるのか・・・」

住んでる国で文化が全然違うんだな…。日本が世界の常識じゃないんだな。このタイミングで知ることができたのは幸運以外の何物でもなかったです。

ドラムに出会う

それから地元の中学・高校に進学。

高校の部活引退後にドラムに出会ってしまい、秋の文化祭ライブに出演。ここでバンドの楽しさを知ってしまいます。

その後、猛勉強して現役で大学に入れれば良かったのですが・・・1年浪人することになります。

しかし、ここで父親がドラムセット買ってくれました。これは本当にうれしかったですね。家同士が遠い田舎なので、昼は勉強して夜はドラムを叩く日常になっていました。

ウェブサイト構築にハマったのもこの頃です。浪人が確定した時に勉強をやる気が全く起きず、2ヶ月ほどは勉強そっちのけでひたすらウェブ構築をしていました。

1浪したのち大学の工学部に入り、バンド活動も本格的に始めます。

いくつかバンドを掛け持ち、様々なライブハウスに出演させてもらいました。20年弱前の出来事ですが、ここで体験したり学んだりしたことが今の自分を形成しているように思えます。

人はそれぞれ違った個性があり、それを磨いていけばよいこと。

違った個性をリスペクトする精神。

特にこれらは画一的な学校生活の中ではなく、ライブハウスの中で学べたことでした。

エンジニアへの道と初めての挫折

大学に入ってからは自動車にも興味を持ちました。

自動車系のエンジニアになるのも面白いかなと思い、将来自動車に関われそうな研究室に配属を希望し、無事入ることができました。

そこで教授から「提携している研究機関からお誘いが来てるけど、院に入ったらそこで研究してみる?」と思わぬ提案を頂きました。これを断ったら後悔するかもしれないな、と直感で思ったことを今でも覚えています。

そして、かなり本気で活動していたドラムを趣味にする決断をします。

この少し前に、名前を言えばほぼ誰でも知っているようなプロデューサーの方にバンドの音源を聴いて貰い、「(自分の)ドラムが弱い(あまりうまくない)ね」という講評を頂いたのも大きかったです。

縁があってTVのバンドコンテストにヘルプで出場させてもらったり、レーベルからの誘いもありましたが、自分の実力と伸びしろは自分もよくわかっていました。

あのとき率直に評価してくれたプロデューサーには心底感謝しています。

大学院進学を決めたその日から、勉強の日々でした。

人生で一番勉強したのは、大学4年から大学院修士課程修了までの3年間です。今まで7,8時間の睡眠時間を5,6時間くらいにして、ひたすら色々な本や論文を読み続けました。

年上のバンドメンバーの知り合いが自動車工場をやっており、そこでエンジンの分解をさせてもらったのも本当によい体験でした。感謝ですね。

大学院でがっつり研究活動をした結果、研究機関のボス(※)があまりにもチートすぎて博士で戦う自信が全くおきなかったことと、研究はとりあえず十分かなと思える気持ちに到達したため、博士課程ではなく就職の道を選びます。

※この方はめちゃくちゃ出世しました。自分の眼に狂いはなかった(白目)

ただ、ここで勉強したことは今でも役立っていますし、15年の時を経てまた専攻した学会に復帰できそうな流れです。修士課程の中で超優秀な研究者にご指導いただきながら研究者のタマゴとして活動ができたことは、本当にラッキーだったと思います。

就活では、幸運なことに第一志望の大企業に入ることができました。

しかし、新卒で入った部署が全く自分に合いませんでした。今思い返すと色々な意味で新人が入るような部署ではなかったです。あまりにハードすぎました。

大半の人間が体調を崩しながら限界まで働く、今考えるとあまりにもおかしな職場でしたね。

結局、自分も働きすぎて体調を崩し、数ヶ月休む羽目に。これは自分にとって本当に痛恨でしたが、以下のことが身に染みて理解できました。

・人間は機械ではない
・上司の言うことに対しては100%服従せずに、取捨選択が必要
・オーバーヒート寸前なら、素直にヘルプを出す

今思うと完全にブラックな職場でしたが、自分の仕事の仕方も問題があったことも確かです。復職後、仕事の仕方を徹底的に見直しました。

当時は勝手に傷ついて勝手に絶望していましたが、今いる世界が全てじゃないので、節目で見切りをつけることはとても重要だと思います。

ただ、前職ではかなり多くのことを学べたのは事実です。なんやかんやで今水を得た魚のように泳げているのは、現場に行って現象を自分の眼で見ることの大切さを学べたからです。

天職に出会い、外資に転職

職場復帰後は異動させてもらったのですが、そこで天職と思える職種(流体解析)に出会います。

エンジニアは設計だけではなく、色々な職種があります。

今の職種が向いていないのでは?と思ったら、社内公募で社内転職しても良いかもしれませんね。意外とその道が合っている、なんてこともあるかもしれません。

その後結婚し、会社の状況とワークライフバランスを考えた結果、外資系の会社に転職をします。

この選択が大正解でした。

職場環境が良く、やりたいことがかなりの比率ででき、自分のシミュレーションのスキル向上にかなり繋がりました。

その上で社内賞を3度受賞できたことは本当に自分と会社が合っていたんだな、運が良かったなと思っています。

そして、下記の血流解析の挑戦に繋がっていきます。

血流解析への挑戦、そして創業へ

2021年にClubhouseが爆発的に流行した時、医療従事者の方が集まるルームで血流解析について興味があると発言したら、心臓血管外科医の方々を中心に様々なディスカッションをする機会を得ました。

詳しくは下記のnoteをご参照ください。

それから血流解析絡みの医療論文を読み合わせしたり、流体力学の基礎をクラハで解説したり、色々な交流がありました。

その流れで心臓外科医の先生方とチーム流体力学を結成し、会社の中で血流解析を取り組むことができるようになりました。

「早く行きたいなら"ひとり"で、遠くまで行きたいなら"みんな"と行け」というのアフリカの諺が好きなのですが、まさにその体制を構築することができました。

そして、地方会で共同研究者として発表する機会を頂きました。

2022年の胸部外科学会にもポスター採択。

2023年の初頭には、JTCVS Techniquesにて共著論文がアクセプト。

https://twitter.com/laf_eng/status/1619124461386739713?s=20

著者による論文ゼミに参加して、内容を紹介してきました。

そして、2023年3月。旭川で開催された心臓血管外科では一般演題が2件採択され、現地で様々な先生たちとディスカッションをしてきました。

https://twitter.com/laf_eng/status/1639473790802604034?s=20

学会発表の内容に興味を持ってくれる人はいるかな?とZoomミーティングを企画したら、クローズドな企画にも関わらず40名の方が集まってくれました。

https://twitter.com/laf_eng/status/1644691202346987520

マンツーマンのクローズドなZoomもかなり増えてきましたのもこの時期です。

以降も論文のアクセプトが続き、2023.10の胸部外科学会、2024.2の心臓血管外科学会にも共同研究の演題が採択されて参加しました。

先日共著論文を提出しました。通りますように。。

そして、このタイミングで、より医療に特化した取り組みをするために起業しつつ、フルリモートで働ける会社に転職をすることを決心しました。

2024.6から新しい会社へ転職+創業の挑戦が始まります。

そして詳しくは言えません(言いません)が、今の会社とは今後も良い関係を築けそうです。自分のわがままで辞めるんですけど、本当に感謝しかないですね。。

今までの血流解析は下記Noteにまとめてあります。

やりたいことをやりつつ、緩くしなやかに生きる

ここまで生きてきて思うのは、やっぱりやりたいことやってこその人生だなと。

正直に書くと、他者やエージェントから破格のスカウトを頂くこともあります。でも、自分が見たい世界を見るために尽くす方が、死ぬときにはきっと後悔しないだろうなと思うのです。

自分の生き方についてはよく妻に相談しています。その都度「あなたの仕事が楽しくて、家族が食っていけそうであればそれで良し!」と言ってくれる肝っ玉母さんなので、とてもありがたいと常々感じています。

要は、特性を活かした生存戦略の中でしなやかに生き続けることが大事だと思っています。サスティナブル(Sustainable)という言葉が、一番合うかもしれませんね。

また、あれだけ嫌っていた農業も、最近は率先して親の作業を手伝うようになっています。不思議なものです。せっかく農家の息子に生まれたことだし、自分で米と野菜が作れるようになりたいなと考えるようになりました。

人生のステージは変えることもできるし、望まない方向にいきなり変わってしまうこともありますが、その時に色々な選択肢があると気持ちはかなり楽になるんじゃないかとよく思います。選択肢を得るためには、ひたすら行動です。

行動すればきっと道は開けて、誰かが自分が何者かを勝手に定義してくれます。自分が何者かになろうとするんじゃなくて、勝手になってる。これからもそんな人生でいきたいなと思っています。

脈絡のないnoteですが、読んで頂きありがとうございました。



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