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麻袋がなくなる日


KISSACOをはじめてから私の毎日は常に麻袋と共にあります。

コーヒー店さんが送ってくださったり、自ら麻袋を探しに行ったり、この十数年もの間、私のそばから麻袋が一枚もなくなる日は一度たりともありませんでした。

しかし、ある時ふと思ったのです。

「麻袋ってこれからもずっとあるの???」

と。

コーヒー関係の会社の方にそのような話を伺ったところ、最近は麻袋ではなく、より防湿性の高い別の素材に梱包する国が増えているそうです。

確かに麻袋が目的ではなくて、その中身のコーヒーをいかに劣化させずに遠い国まで運ぶかが肝心ですもんね。麻袋よりも優れた素材があればそちらに移行されていくのも当然のお話しだと思います。

例えばマッチからライターに変わったのも同じようなことですよね。

今となってはマッチではなくライターを持つ方がほとんどですし、マッチが置いてある喫茶店などなかなか見かけませんが、一昔前は喫茶店とたばこはセットのようなものだったのでしょう。

小さいころに入った喫茶店のイメージは、店にいる多くのお客さんがたばこの煙を吐き出し、店内にはむせ返るほどの煙が満ちていた記憶があります。

*余談*思い返せば喫茶店だけではありません。今では考えられませんが、学校の職員室や電車などでも場所を選ばず多くの方がたばこを吸っている時代でしたよね。まさに昭和あるあるです。

実は以前に私は喫茶店のマッチ箱を買うことに夢中になっていた時期がありました。

マッチの箱はインターネットなどの広告手段がなかった時代はお店の広告・シンボルのようなものだったそうで、中には有名なアーティストがデザインされたものなどもあったという話を聞きます。

はじめはマッチ箱に描かれている絵であったり、文字のデザインが面白くて少しずつ集めていたのですが、ある時マッチ箱が数百個ほどがまとめて売られていたのでつい興味本位で購入したらそれが非常に面白かったのです。

恐らくマッチ箱をコレクションされていた方が手放したか、又はお亡くなりになられて、骨董商の方がそれらをまとめて買い取って販売していたようなのです。

よくよくマッチを一つずつ見ていくと1952~1953年の間に通った喫茶店のマッチのようでした。マッチを収拾されていた主は几帳面な方だったようで喫茶店に行った日付をきちんとマッチ箱に書いていたのです。

収拾者は相当な喫茶店好きだったようで、毎日のようにせっせと喫茶店に通っており、一緒に言った友人の名前まで書いていました。

登場してくるのはたいがい、カオル、ウー子、マスオカ、チャーリイ、タルオ。

1952年9月からはカオルと二人だけで行くことが増え、喫茶店だけでなく、バーや中華飯店、それから東京から離れた熱海の喫茶店にも共にしていまた。

でも、1953年11月以降からぱたりとカオルの名前がなくなりました。最後に記されたマッチからはどことなく雨の匂いがします(という私の勝手な憶測です)

私はしばらくマッチ箱にかかれていた登場人物のことばかりを考えていました。

そして、1952年の東京はどんな風だったのだろう、喫茶店にはどんな人が集まっていたのだろう、マッチ箱の持ち主とカオルはどんな関係だったのだろう、集まったみんなで、あるいは二人きりでどんな会話をしていたのだろう、と。

KISSACOを始めるきっかけとなったのは私の父がたまたま麻袋を持って帰って来たことからでしたが、私の父は今から50年近く前にスイスでホテルマンの修行をしていた時期があり、ホテルでお客さんが飲んだ後のワインのエチケットを収拾し夜な夜なスケッチブックに貼るのが趣味だったそうです。

お酒を飲んで気分が良くなるとスケッチブックを引っ張り出してきます。

マッチ箱もワインのエチケットもコーヒーの麻袋にも、私はとてもロマンを感じます。

世に認められた価値のあるアートとは違い、名もなきデザイナーやアーティストが生み出し、それに価値を感じた人間が秘かに収集する。

それらは何年経っても価値が出ないものかもしれませんし、自分以外の誰かにはわからない価値かもしれません。

でも、だからこそいいなと私は思っています。

子供のころに見付けた秘密の場所や、とてもきれいな石や友達がなんとなく書いてくれたイラストとか、今でもずっと大切に保管しているものがあります。

いつか私がいなくなる日が来たら私が収拾したものを誰かがまた二束三文で買い取ってくれたりして、私のような物好きがそれらを引き継ぎ、勝手にそれらから憶測したり、そのことを誰かに語り継ぐかもしれないと思うと何だかとてもワクワクするんです。

今まで本当にたくさんの麻袋に出会ってきました。

今もアトリエに何百枚もの麻袋があり、とっておきの絵柄は額装して保管したりしています。

そしてもしかしたら近い将来に麻袋はなくなるかもしれないですし、そうなったらKISSACOのバッグ自体が化石のようなものになるかもしれないと思うのです。

バッグを作るときにはいつもそんな刹那的なものも感じています。

今はある、でも、いつかはきっとなくなる。

そういうものに魅力を感じて、人生をささげてしまう性分なのだと思います、(笑)

ぜひ、そんな風に麻袋やバッグをときどき眺めていただけたら嬉しいです!

最後までお付き合いくださりありがとうございました。

https://kissaco.net/



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