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アパートの管理人さんと食事をしました

投稿の経緯

今日、自分が住んでいる学生マンションに住み込みで働いている管理人さんとカレーを食べに行きました。62歳の男性の方で、これまで中々波乱万丈な人生を送ってきたそうで、自分の考え方に刺激を与えるような話も聞くことができたので、自分の思考の記録としてnoteに残しておこうと思います。

人生と制限時間

人生ってスーパーマリオブラザーズみたいなものだと思います。クリアするための制限時間が設けられていて、途中で穴に落っこちて死ぬこともある。事故みたいなものです。そして最後にはスコアが発表され、高かったらうれしい。決定的に違うところは、人生にはゴールポールは立っていないことです。一般的なゲームはゴールを目指して突き進むもので、ゴールにたどり着くことで達成感が得られそれが満足感につながります。でも人生にはゴールはない。それじゃあどこで満足感を得れば良いのか。自分は3つの方法があると考えました。1つ目は、いちいち自分の進んできた道を振り返ったり、これからの道を模索していくことを楽しむこと。過去を振り返ることで幸福の余韻に浸ったり自分の将来を惟たりして人生トータルの幸せを願うことは幸福だと思います。2つ目は今、プレイ中の「現在」を楽しむこと。今自分はこういう理由で何をやっていて、それがどんな風に自分の人生を豊かにしているのかを考えると幸せになれる。3つ目は、無理やり人生の目標を設定すること。「人生のブランディング」と呼んでいます。ゲームのクリア画面じゃないけど、自分はこんな人生を自信をもって生き抜いたとゲームオーバーの時に思えるような生き方を「今」すること。これも人生を生きる活力につながると思います。

Authentic curiosity

「真の知的好奇心」今日、自分が人生で大切にしたいと思った考え方です。人生を楽しく生きるためには、自分がどうやったら幸せになれるかを考えないといけない。どうやったら幸せになれるかを特定するには、世の中にはどんな考え方や概念、娯楽、オモシロが散らばっているかを一つ一つかき集めていかないといけない。それは自分から欲しなければ到底見つけられないもので、他の人や外の世界から引っ張ってくるしかない。「日々アンテナを張って自分の心惹かれるものを見つける努力をする」というのは自分の中での大事な考え方にしているんですが、自分はあまり得意じゃないと思います。言い方は悪い&ネガティブだけど、この能力って幼いころからの親の教育で変わってくる要素だと思います。少なくとも身の回りのコト・モノにどんど興味を持って調べていくなんて正直今の自分には少し苦痛に感じます。それが苦も無くできる人は頭のネジが数本外れてるとさえ思ってる。だけど、それができるようになる努力は怠るべきじゃないと思っています。なぜならそれが直接的にも間接的にも人生の豊かさにつながってくるから。興味の依存先をできるだけ広げることは、精神を健康的に保つために結構重要なことだと思うんですよね。そのためにも知的好奇心を持ち続ける努力はしていこうと思う次第でした。

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