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【天衣無縫】皇族に相応しい人とはどんな人か?

【積読娯楽紀の連載】
ただ積読してある本の紹介といえばそれまでだ。積読娯楽紀は書評でも読書感想文でもなければ要約記事でもない。
読書体験とはただテキストを読むに留まらず、著者のメッセージを受け取るに留まらず、コンテクストとの対話に面白さがあるという哲学の元、読書体験そのものを擬似体験してもらうことを目的に連載を開始した。
堅苦しいものではないが、消費的でもない、娯楽的気分で読める読書紀行を楽しんでもらいたい。

本日の積読本

彬子女王『赤と青のガウン』



完璧な人間一族。皇族。

「友達に皇族がいます。」
僕の友達でこんな友達はいない。僕にとって天皇は教科書とニュースの中で生きている存在だ。

スマホに流れてくる天皇像は行儀よく、気品ある態度で、親しみやすい笑顔を兼ね備え、紳士的で、まさにできた人間、「象徴たるに相応しい姿」が見受けられる。

出典:https://www.asahi.com/and/article/20180508/400036283/

実際に、天皇は日本国民の象徴存在としての責任が生れながにして背負わされている。

1 .天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく(憲法第1条)。
2. 皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する(憲法第2条)。

日本国憲法

海外の人は天皇の振る舞いを見て、「日本人とはどんな国民なのか?」を見定める。そんな前提がある。つまり日本国民としてのロールモデル的生活を送ることが使命として背負いながら生活しているのだ。昨今流行っている「自分らしさの追求」も二の次だ。日本らしさを背負っているのだから。

実情は置いておいて、天皇の定義はそういうことだ。

国民の前、ましてやメディアの前ではちょっとの粗相も許されない。そんな窮屈なイメージがある。天皇になりたいか?と聞かれたらもちろんNoである。そんな重積を担う覚悟もなければ、自信もない。何度怒られても、家で靴下を脱ぎっぱなしにしてしまう僕が日本国民を象徴するわけにはいかないだろう。

しかし皇族は現状、日本国民が目指すべき最高のお姿なのだ。その生き方を学べば、僕も立派になれるのではないか。

そんな邪な考えで、盗めるものを探すべく手に取った本がこれだ。

著者は皇族である彬子女王。本書を手に取るまで彬子女王を知らなかった。教養がなさすぎた。そもそも「女王」という呼称があることすら知らなかった。海外では「Princess(プリンセス)」だ。この時点で少年心がくすぐられる。カッコ良すぎるだろ。

彬子女王は現天皇のはとこに当たるお方だ。しっかりとした皇族である。

出典:https://www.kunaicho.go.jp/about/kosei/koseizu.html

女性皇族で初めて博士号を取得されたらしい。しかもイギリスのオックスフォード大学で。タイトルの「赤と青のガウン」はオックスフォード博士号の象徴らしい。

彬子女王は日本美術に大変関心が高く、それがどのように世界に広まっていったのかを研究するためオックスフォードに留学した。その留学記として綴られたのが本書である。

おっちょこちょいな彬子女王殿下

これは彬子女王がイギリスの電車に乗った時の出来事である。

やはり様子がおかしいことに気づいた。どう考えても元来た線路を戻っているとしか思えない。周りを見回してみると、私たちの他に乗客は誰もいないし、車内の照明も全て消えている。そして、徐々にスピードを上げ、野原を爆走しているのだ。(・・・)
日本のプリンセスが異国で神隠しにあうという大事件になってしまう。

彬子女王『赤と青のガウン』p128

なんともホラーな体験だ。乗っていた電車が気づいたら誰もいなくなっていて、逆走していた。夢ではないかと疑うだろう。何か事件に巻き込まれたのか、はたまた何かやらかしてしまったのか。

幸いなことに後者だった。

その電車は車庫に戻る途中で乗客は全員イプスウィッチで降りてもらったという。私たちが眠り込んでしまったいたのと、車掌さんが外側からチェックしただけだったとかで、どうやら見逃されてしまったらしい。

彬子女王『赤と青のガウン』p129

いや、彬子女王、プリセンスだよね?気づかれないとか影薄すぎない?というかもっと危機感持たないのか?

日本だったら皇族が電車で寝過ごして、車庫で発見されたなんて事あったら大ニュースだ。色々ツッコミどころ満載だが、微笑ましいエピソードだ。

びびる彬子女王殿下

ジェシカは学長であり、彬子女王の指導教官に当たる人だ。学内でも、厳しいことで評判があるらしい。そんなジェシカとのエピソードも綴られていた。

時間をかけてかけて必死に書いた文章なのに、「この部分はいらない」と三ページぐらいに渡り大きく「×」が付いている。(・・・)
ジェシカのコメントが返ってくると二日くらいは落ち込み中々現実世界に帰ってくることができない。そのおかげで何度胃を壊したことだろう。
(・・・)
ジェシカには本当に感謝している。でも、彼女がこの文章を読まないことを、いま私は心から願っている。

彬子女王『赤と青のガウン』p129

ビビりすぎではないか。ジェシカの厳しさがひしひしと伝わる。まるで会社の上司だ。僕も会議の資料を上司に見せる時はこんな感じだった。でも胃を壊すことは流石にまだない。相当なストレスと闘ってきたのだろう。

自慢する彬子女王殿下

僕が自慢したいことといえば、年収がこれだけあるとか、会社でこんな実績を残したとか、そんなところだ。彬子女王も本書で自慢を語っていた。

本書に登場するジョー・プライスは日本美術を世界に広めた第一人者である。そんな研究の過程でジョーさんの自宅に訪問した時の出来事だ。

「ジョーさんは料理ができるのか」という話になった。「ほとんどしないけれど、昔はよく娘のためにパンケーキを日曜日には作ってあげていた」というジョーさん。(・・・)「ジョーさんのパンケーキ食べてみたーい」とせがむとなんと翌朝に作ってくださるとのこと。
(・・・)
世界広しといえども、ジョー・プライスの手料理を食べたのは、ご家族をのぞいて私だけだろうと自負している。世の日本美術研究者たちに、ちょっと誇れる私の小さな自慢なのである。

彬子女王『赤と青のガウン』p228

おいおい。自慢が可愛すぎるぞ。自慢という言葉を使いながらこぼれる些細な嬉しさが伝わってくる。

同じ人間じゃないか。

僕が本書のおかしさに気づく頃には、読み終わっていた。そう、読み終わってから気づいた。

留学記に綴られるエピソードからは、些細な日常のちょっとしたやらかしや喜び、イライラ、怒り、感動、もやもや、焦り、誇りといった我々も持ち合わせている感情が漏れ出ていた。

他にも
・飛行機を乗り違えてしまった話
・側衛とのハプニングエピソード
・名付け親になった時の話
・博士論文の口頭試問で過去一の緊張をした話
・推し友人の紹介
などなど、クスッと笑えるものもあれば、心の中で応援してしまうようなものまで。

オックスフォードならではの体験記、皇族ならではの体験記ではあるのだが、そこでの葛藤や感情は我々となんら変わらない、非常に人間らしいものであった。

そうこれは立派な生き方の指南書などではなかった。日本の象徴としてあるべき生き方、日本らしい生き方ではなく、彬子女王らしさが溢れ出るものであった。

皇族に相応しい人とはどんな人か?

いや、やはり指南書かもしれない。冒頭でも申し上げたが、天皇とは定義上、日本国民の象徴である。海外からの見られ方の観点も然りだが、日本人自身がどうあるべきかのロールモデルとなるべき存在である。天皇に限らず、その重責は皇族全体の共通認識となっているだろう。

そこで見せる彬子女王の振る舞いは、酸いも甘いも全てと向き合い、日常の些細な出来事を楽しみ、時にやらかし、時に悩み、時に周囲と揉め、時に友人と休暇を楽しむ。そんな一面であった。

ものすごく勇気付けられた。立派すぎなくても良いと。

皇族に相応しい人がどんな人かなどはわからない。しかし彼女が皇族であったからこそ、これが責任ある皇族による体験記だからこそ、勇気付けられるのではないか。

もちろん、彼女が立派でないというわけではない。なんだかんだオックスフォードの博士号を取得していたり、皇族としての公務も全うしていることから、立派な一面もある。

でもそれだけが人生じゃないことを教えてくれる。日々の喜怒哀楽を味わっても良いのだと。イライラしも良いし、悩んでもいいし、もやもやしてもいいし、嬉しいことがあったら自慢しても良いのだと。

そういった彬子女王という人間性に触れることができたのは読んでて痛快であった。指南書と名を売っている指南書よりよっぽど感じるものがあった。

皇族というバックグランドを持った彼女が何をみて、何を感じて、何を綴ったのか。ぜひ読者にも体験してもらいたい。


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