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AI時代の最大の変革は「人類の『責任』の消滅」-テクノロジーリベラリズムで備える自動人権保障時代

 AIが進化を続けていくなかで、人間にとって一番の変革になりうる現象は、長く文明を支えてきた「責任」という概念を数世紀のうちに人類が放棄しなければならなくなる時がくることだ。いま若い人類は、責任を放棄するという重大な責任を負うことになるかもしれない。

 既に自律兵器や自動運転で「責任の所在をどうするか」という議論が生まれている。今は人間が社会を回しているから責任の所在をはっきりとさせる必要がある。しかし、社会を回すシステムが人間からAIになった時、誰も責任を取ることができない。

 AIで自動化が進んだとき、どこかのタイミングで意思決定を下す人間の肉体がボトルネックになる瞬間がやってくる。特に瞬間的に判断を下すことが必要になるタイミングでだ。人間の認知・判断能力をAIが上回った時、人間が決めること自体が「無責任」になる。

 AIが社会の隅々まで行き渡った時、損害を負った場合に他者に責任を負わせるのではなく、自動的に賠償されるように社会の側がAIで調整する時代がやってくる。能力的な問題でAIしか保障できなくなるので、全人類が責任能力を喪うことになる。AIは保護者になり、我々人類は子どもに戻ることになる。

 もし、人間が責任を負い続けることになったら、AIを作り出した大資本の責任を消費者が負わされることになる。しかしAIで社会が自動化していくと雇用は縮小し、経済圏も縮まっていくことになる。大半の人間が支払い能力を失う。結局、誰も責任を負えなくなる。

 人類が責任を放棄するタイミングで必要になる社会的通念がテクノロジーリベラリズムだ。雇用が縮小し、経済圏が縮まるなか、新自由主義は限界を迎える。社会が自動化していく中で、「人権を自動的に保障する」仕組みを作るための考え方が必要になる。

 テクノロジーリベラリズムはいきなり成立するものではない。少しづつ醸成していくことが現実的だろう。政府がAIを使い始める時代だからこそ、ちゃんとテクノロジーの使い方が基本的人権に立脚してるかチェックする必要が出てくる。メディアやリベラル派こそテクノロジーに強くなる必要があると感じている。

 テクノロジーリベラリズムが発展すると、政府や大資本のテクノロジーの使い方が基本的人権を侵害していないかチェックすることができるようになる。更に、人間の基本的な権利を守るためのテクノロジーの使い方を政策として提案することができる。少しずつ、「人権を自動的に保障する」時代に近づいていく。

 一部の全体主義的国家では、AIを監視社会を維持するために活用している。その全体主義的国家の覇権に脅かされている日本には何ができるのか。「人権を自動的に保障する」テクノロジーリベラリズム国家を目指し、テクノロジーによって自由を目指す新しい社会の仕組みを世界標準にすること。我が国の存立を守ることにも、ディストピアを回避することができるようことにもなるかもしれない。

 今後はみすみんも当事者という立場からテクノロジーリベラリズムの創造に向けて活動していきたい。

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