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ボボボーボ・ボーボボはメタバース世界だった!?思考が具現化!発想力「ハジけ」を重視 -XR

 メタバース発展の先にはボボボーボ・ボーボボの世界が広がっているかもしれない。ボボボーボ・ボーボボには、メタバースを彷彿とさせる描写が至る所になされているからだ。

 メタバースとはインターネット上に構築された三次元空間の仮想世界で、利用者はアバターで交流し生活や研究、創作活動などを行う。全く別の空間を生み出すVRや、現実世界に仮想の物体などを重ねるARなどを含め、英語の「超(META)」と「宇宙(UNIVERSE)」を合わせた造語だ。SF作家ニール・スティーヴンスン『スノウ・クラッシュ』に由来する。

 ボボボーボ・ボーボボは澤井啓夫が2001~07年に週刊少年ジャンプに連載した漫画。単行本は700万部以上発行され、アニメ化もされた大人気作品だ。マルハーゲ帝国に支配された3000年代の地球を舞台に、皇帝が自らの影響力を誇示するために放った「毛狩り隊」から、人類の髪の毛の自由と平和を守るため、主人公のボボボーボ・ボーボボが鼻毛真拳を用いて戦うというストーリーだ。一見荒唐無稽な内容に見える本作も、「メタバース」という視点で見ると、一貫した背景が見えてくるかもしれない。

ボボボーボ・ボーボボ(週刊少年ジャンプ)

https://shonenjumpplus.com/episode/10833519556325021865

 ボボボーボ・ボーボボのアバター社会

 ボボボーボ・ボーボボに登場するキャラクターは非常に多様性に富んでいる。アフロでマッチョなボボボーボ・ボーボボだけでなく、ところてんや、太陽のように見える首領、つけもの、毛など、この世に存在する概念も、存在しない概念も、存在として存在している。もちろん美少女もいる。人間の身体に捕らわれない形状の多様性は、アバター社会そのものである。

 ただ身体的な多様性に富んでいるだけではない。ボボボーボ・ボーボボの登場人物たちは、身体的特徴を簡単に変化させる。ボボボーボ・ボーボボは花やハンバーガーに変形するし、鼻毛の伸び縮みも自由自在。犬にもなる。首領(ドン)・パッチに至ってはコマが変わるごとに形状が変化している。しかし存在そのものは同一性が保たれている。

 ボボボーボ・ボーボボの世界は3000年ごろなので、メタバースが高度に発展して長い時間が経っている可能性があるため、存在に対する意識が我々ヒトガタの意識を超えているのが当たり前になっているのだろう。

 思考が具現化、現実と融合

 ボボボーボ・ボーボボ世界の特徴は、思ったり言ったりしたことがその場で実現していることだ。ギャグや宣言と一緒に登場人物の身体の形状が変化するだけではない。特にボボボーボ・ボーボボのアフロの内部や鼻の孔からは卒業式やバンドの解散、男女の別れといった異空間が展開したり、別の人物が登場したりする。また、割り箸を地面に突き刺すと遊園地が育つこともある。野球場や劇場などの大型施設も突然現れる。

 現代のメタバースでは、アバターとワールド、アイテムなどが明確に機能として分離されている傾向があるが、ボボボーボ・ボーボボの世界ではすべて操作可能だ。世界そのものをすべてオブジェクトとして編集できるメタバース「NeosVR」に近い世界なのかもしれない。

 メタバース世界の特徴は、現物を用意する必要がある現実よりも、手軽に行動できる点だ。現在ではUnityのようなゲームエンジンで構築する必要があるが、手順を簡単にするためのさまざまなプラグインが有志の手によって公開されており、少しずつではあるものの触りやすいものになっている。1000年近い未来のボボボーボ・ボーボボの世界では、おそらく思考するだけで認識を操作できる段階に達するかもしれない。

 現代ではまだまだメタバースというと重い設備が必要で、その空間も現実とは隔絶されたようになっている。しかしボボボーボ・ボーボボの世界ではXRが高度に融合し、現実と完全に一体化しているのであろう。だから、誰もこの世界に疑問を抱かない。

 「毛狩り」は肉体の不自由の象徴

  ボボボーボ・ボーボボの世界での敵役は「マルハーゲ帝国」の「毛狩り隊」だ。毛狩り隊は、暴力を用いて支配した国民の毛を狩っていく。また、マルハーゲ帝国は独裁国家であり、戦闘員の服装も極めて全体主義的だ。対するボボボーボ・ボーボボは「毛の自由と平和を守る」ことをスローガンに個性豊かな仲間たちと戦っている。

 毛、特に毛髪は身体表現の自由の象徴だ。有名人や学校、スポーツの現場では、常に「髪型」を巡って社会的圧力や権威、全体主義と個人の自由・尊厳がせめぎあい、議論になっている。また、現代のメタバースにおいても、長い髪の美少女を選び、髪型や髪色を変えることで個性を出そうとするユーザーが多い。男女で理想的な髪型が異なるとされる風潮があるなど、ジェンダー分野でも「毛」は重要な議論の要素だ。

 個人の身体表現の自由を奪う「毛狩り」はまさに、メタバースの発展で得られる自由とは正反対にある象徴だろうと言える。それに対するボボボーボ・ボーボボはメタバースで得られる自由そのものだ。概念が暴力を凌駕するとき、人間が最も人間らしくなるのだ。

 「ハジけ」発想力が最大の価値に

 ボボボーボ・ボーボボや首領・パッチの戦い方は、ただの暴力ではない。どれだけ「ハジけ」られたかが、最も重要な価値観になっている。「ハジけ」とは、ずば抜けた発想力や面白さ、奇想天外さを発揮することで、これらを使うものを「ハジけ者(ハジケリスト)」と呼ぶ。「ハジけ」の技にはお題という形で一定の概念の縛りを設けて競い合う場合もある。

 思考がシームレスに具現化する高度に発展したメタバース世界においては、「ハジけ」た概念がそのまま実行される。発想から実行までの技術的な障壁が限りなく小さくなるため、ハジけられた者こそが新しい概念を生み出す。新しい概念は人類の可能性を広げ、自由の発展に資する。

 現代でかなり高度な自由度を実現しているメタバース「NeosVR」では、思いついた概念に対しては、技術のあるユーザーが実装することができ、一つのプロジェクトを何人もで共有して実現する文化がある。また、普段から「これが欲しいな」「これがあったら面白いな」と言うと続々とフレンドが集まり、遊びながらゲームやワールド、システムを作ってしまう。発想から実装までの距離が段々と近づいている。

 おわりに

 今まで、メタバース世界を扱ったSF作品は数多くあった。しかし、作中の仮想世界には窮屈なものも多く、肉体から解放された自由を表現することは、おそらく現代の肉体人類の想像力では難しいところがあるだろう。「思考と実行がシームレスにつながったら、人間はどうなるか?」のひとつの答えとして、ボボボーボ・ボーボボには、現代の人間のカタチを超えた豊かな表現がある。我々も、奇妙な発想や概念を「ありえない」と切り捨てず、一つの世界として大切にしていきたい。宇宙を超えよう。メタバース。

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