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羊角の蛇神像 私の中学生日記⑨

魔法の色、水の花

夜の国でひとり、昼夜逆転の暮らしをする中で、私を慰めたものがあった。
朝が来て、少しずつ色を変える空の色をずっと眺めていた。
私は朝焼けを「魔法の色」と呼んで、世界が魔法にかかっていく不思議に心打たれていた。

またある時は、雨の景色を眺めていた。
コンクリートの駐車場でひらくたくさんの波紋を見ていた。
波紋は決して閉じることがなく、広がって、新しい波紋と混じりあって消えていく。
花が咲いて、花びらが落ちるような終わりは無い。
ひらいてひろがる。ひろがって消える。
その永遠に心を奪われて、ずっと見つめていた。
いつしか私の意識はひとつひとつの水の花弁に巻き込まれ、吸い込まれていった。
私の形のガラスが水で満ちていくような感覚と、私の心が水煙のように頼りなく薄れゆくのを感じた。

孤独だった。
同時に、永遠の孤独を豊かだと感じていた。
未来も希望も無いかわりに、私を傷つけるものや急き立てるものも無く、私だけが知っている美しいものがそこには備わっていた。

でも、心の奥で私は渇望していた。
私の世界の美しさを、ケーキのように切り分ける誰かが現れてくれるのを。

夜の国の終わり、死の舞踏

外に出るのは怖かったが、母が私を買い物に連れ出してくれた。
外の空気を吸って、私の気分は晴れやかだった。

私たちのすぐ側で不自然にスピードを落とす車の中に見覚えのある顔を見た。
担任と生徒指導の先生だった。

私は全てを悟った。学校に行けない私のことを、大人たちがどこかへ連れ去ろうとしている。
先生たちはさわやかに手を振って私に明るい笑顔を見せたが、緊張が伝わった。
私が逃げたり暴れたりすることも想定しているのだ。

私は大人しく彼らに従った。

熱した革のような匂いが漂う他人の車の中で、私は久しぶりに見る通学路を眺めた。

車は、おどり歩道橋をくぐり抜けた。

この歩道橋には曰くがある。
昔、若い母親が幼い我が子を抱いて、歩道橋の上から車が走るのを子どもに見せていた。
子どもは車が好きだった。
車を見て喜ぶ我が子を愛しんで、母親はバスやトラックが通ると指を差したり手を振ったりした。

大きいね。かっこいいねえ。

ある日、いつものように親子が歩道橋で車を見下ろしていると、学校帰りの中学生たちが通りがかった。
彼らは何かゲームのようなものに興じており、ある少年が誤って母親にぶつかった。
母親が体勢を崩して防護柵にぶつかると、その手から子どもが滑り落ちた。

子どもが死んでからも、母親は毎日歩道橋に立った。
子どもを抱き抱えるような格好で、バスやトラックを指差したり、手を振ったりした。

大きいね。かっこいいねえ。

その姿は、まるで踊っているように見えた。

海のそばのどこかへ

歩道橋の名前から連想した作り話を、私は何人かにした。
あと、梅ノ木という交差点は、かつてうめき声が聴こえていたという作り話もした。
私はそういう嘘をつくのが好きだった。

歩道橋をくぐる車の中で、私は何を考えていたのだろう。
やがて私たちの車は海のそばにある大きな建物に着いた。

児童相談所に着き、母とある部屋の中へ通された。
程なく、体に麻痺のあるおじさんと、女性が現れた。
このおじさんが、私を悪魔主義者と言った担当のケースワーカーで、女性は心理士だった。

少しの間、彼らと話をした。
何を話したかおぼえていない。
それから母や先生たちが帰っていき、私だけが残った。
私は別の場所へ連れられて行った。
そこには、トレーナーやズボンや下着が用意されていた。
着ている服を全て脱ぎ、用意された服に着替えた。

そして、小さい子どもや私と同じくらいの男子や女子たちがいる所へ行った。

どんな風な話や説明があったのかは覚えていないけど、私は大人たちの指示や提案のようなものに、大人しく従ったと思う。

私は小学生の頃、カブスカウトに入っていたことがあった
左から2人目が私

早すぎる敗北

一時保護所のことは、この手記の始めの頃に書いた。
1年生の春休みに数週間保護されて、その間時々ケースワーカーと話したり、心理士のテストを受けたりした。

その後、2年生になって一度学校に行った。
誰と何を話したかは忘れた。
しかし、ひとつだけ忘れられないことがあった。

休み時間のことだった。
私は中央からやや窓側の、後ろの方の席だったと思う。
その列の前の方の席に座る男子がいた。
別の男子が隣の椅子をその子の机に寄せて何かを耳打ちしていた。
彼は薄笑いを浮かべて私を見ていた。

それがどうしたと言うのだろう。
しかし、その時の私の心を打ち砕くには十分過ぎる事件だった。
そんなことで音を上げる私であるから、いずれにしても長くは持たなかっただろう。

そんなつまらないことで再び学校に行けなくなった私だったが、そんなメンタルでよく挑戦できたと不思議に思う。
結果はダメだったが、偉かったのではないか。
そうして、もう無理なんだと思い知ることができて良かったのではないか。

私はぜんざいが好きだ

山の名前を持つ少年

あの時、もしかしたら誰かが好意的に関わってくれたかも知れない。Oやクロエとは話したのだろうか。彼らは喜んでくれただろうか。そして、すぐに学校に来れなくなった私にがっかりしただろうか。

その頃の友人のことで、いくつか思い出したことがあるので書く。

1年生の時、級友のお母さんが駅前の、寂れた市場の2階でお好み焼きを始めた。
私は絵がうまかったので、その店の表に絵を描いた。

その頃、幻想世界の生き物が好きだったので、のび太の日本誕生の3匹のキメラに似た感じの、羽のあるユニコーンとかグリフィンを描いたと思う。
すごく時間がかかってしまったので、途中からおばさんが色塗りを手伝ってくれた。
計画していたものと違う色で塗られたので悲しかった。
おばさんは元気だろうか。

映画「ドラえもん のび太の日本誕生」より

あと、校区には児童施設があり、そこに入所している男子2人が同じクラスだった。
活発で明るいやつと、比較的大人しいKがいた。
確か、私たちが1年生か2年生の頃、その施設は閉鎖された。
彼らは別の施設に移るために転校した。

Kの下の名前は私たちの地域を代表する山と同じだった。
私はその名をかっこいいと思っていた。
それで、はたちくらいの頃に、私が空想して、絵に描いたり名前を考えたりするキャラクターたちがいた。

そのうちの中心人物に、Kの名前をもらった。
誰も知らない物語のことだ。

神話の続き

その物語やキャラクター設定のことを便宜上「神話の続き」と呼んでいた。

彼らは12人いた。
山の名を持つ少年が中心人物で、彼は空想家だった。
自分たちが、かつて世界を司っていた12柱の、竜の姿をした神の生まれ変わりだと信じていて、その仲間を探すというような話だった。

バハムートラグーンと僕の地球を守ってを合わせたような話だと思って良い。

日渡早紀「僕の地球を守って」より
スクエアのバハムートラグーン タイトル画面

しかし、彼らが本当に竜の生まれ変わりということはなく、ただのどこにでもいる高校生たちだった。
山の名前の子の空想に、周りの人間が同調したり馬鹿にしながら関わっていくという、そういう物語なのだ。

でも、想像の中で竜(人間の姿の時もある)が登場するので、それらの設定画も描いたりした。
誰にも見せたことが無かったが、ある時私は車上荒らしに合い、それらの設定画の入ったカバンを盗まれてしまった。
恥ずかしい。

それで、その山の名を持つ元級友とも私は数年前に再会した。
調子が悪くなったエアコンを見てもらったサービスマンが彼だったのだ。

名前を覚えるのが苦手な私だったが、彼の場合は違った。
私が声をかけると、彼も懐かしんでくれた。
短い期間、あの学校にいたもの同士、話すことは特に無かったが、私が覚えていたことを彼は喜んでくれた。
多感な時期に環境が大きく変わり、彼もつらい思いをしたのかも知れない。

そうして彼は無償でエアコンを丸洗いしてくれたのだった。
すごくありがたかった。

竹製の矢で伝説のヌシを仕留めた時の私
女の人の顔が怖い

物語は神話にまで遡りながらゆっくりと進む。
次回、物語は大きくうねり出す。

学園編スタート。

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