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羊角の蛇神像 私の中学生日記③

様々な事情を抱えながら、親元を離れて児童相談所の一時保護所で暮らす子どもたち。
体罰が当たり前だった時代、子どもたちは運命の奴隷だった。

宮崎勤

ある時期、保護されていた小学生の男の子がいた。
彼はかわいらしい外見とは裏腹に皆に疎まれていた。
今思えば彼は重度のADHDだった。

常にソワソワガサガサと落ち着きがなく、周りの人に脈絡なく話しかける。私たちは終始ペースを乱されて苛立ちを隠せなかった。
今は、発達障害というものが認知されていて、そういう子どもへの配慮だとか、周りの子どもたちへのフォローが進んでいる。当時はそういう概念すら無かったのではないだろうか。

ある時、私は彼にひどく振り回されて怒った。手を出したのか、詰ったのかは覚えていない。そのあと、衝撃的な出来事があったからだ。

私に叱られて彼は泣いた。
私たちの間に職員のCが割って入り、私にこう言い放った。

お前は宮崎勤か?

私は耳を疑った。
そうして、その言葉の意味するものが、ゆっくりと心に刺さっていく音を聴いた。

当時、宮崎の事件が報道されない日は無かった。社会を震撼させた恐るべき凶悪犯罪のその容疑者が、異常なサイコパスだと言うことは世間の常識だった。
幼い少女を手にかけたスプラッターマニアでアニメオタクの宮崎は、人が抱える心の闇の象徴のような存在だと、私もテレビの報道で聞いていた。

年下の子どもを泣かせるのは大人げないし恥ずかしいことだろう。叱られても仕方がなかったと思う。
しかし、大人が子どもに言って良い言葉ではない。
児童福祉に携わる者であり、私がそのケアを受けるべき子どものひとりであるなら、尚のこと。
その男の子によって私たちが振り回されているのは明白であるし、その子と他の子どもたちとのトラブルを回避できず、職員もまた振り回されていたのだろう。
その苛立ちや無力感を、私へひどい言葉を向けたことで幾分か和らいだことだろうか。

その男はシマダという。
その名はいつまでも忘れないだろう。

真実の書

ここで私の思い出話とは別の話をする。

昭和と平成の間に起こった凄惨な殺人事件の犯人。
伝説のシリアルキラーのひとりである宮崎勤は既に死刑によってこの世を去った。
私はいつか、宮崎勤は濡れ衣を着せられたという説をどこかで目にしたことがある。

また、和歌山カレー事件の林真須美には冤罪の可能性が指摘されている。

また、近所トラブルの代表的なケースとして世間を驚かせた騒音おばさんについては、彼女自身が被害者だったという説もある。

例えばホロコーストは無かったとか、南極大陸は存在しないとか、ISはアメリカの自作自演とか、前澤さんは宇宙に行っていないとか、東日本大震災は人工災害とか、911の真相とか、そういう話はたくさんある。

多くの人は、馬鹿げたデマだと笑うだろう。
しかし、朝日新聞による慰安婦捏造は実際に起こったことだ。
また、昨夏の小山田圭吾五輪辞任劇では多くのメディアや著名人が切り取りのフェイクニュースに踊らされて彼をサイコパス扱いしたし、多くの人がそれを鵜呑みにした。

何が真実で、何がDemagogieかを、無力な私たちがどうして判断できるだろう。
「そんなバカなことがあるわけない」とすぐに思考停止する人間が世の中には多い。

できるならば、この世の真実が書かれた書物か何かで、本当のことが知りたい。
それが無い限り、何をもって事実かフェイクかを判断するのかを、私たちはもっと真面目に考えなければならない。

こんなことを書くのは、私のせいで弱い者いじめの代名詞にされた宮崎勤にシンパシーを覚えたからではない。

おやすみ神様

さて、話を一時保護所に戻そう。
楽しいこともたくさんあった。
様々な事情を抱えた私たちは、基本的にお互いを尊重していたと思う。仲良くなったやつもいた。
ひとつ年上の男子は、夜尿症があると言っていた。
この世界の片隅に、そういう子どももいるのだ。

先生たちも基本的には優しかった。
複雑な事情を抱えたり、心に傷を持つ子どもたちに優しく接してくれる先生が殆どだった。

夜、明かりを落とした私たちの寝室に、当直の先生が来てくれるのが楽しみだった。
私たちが眠る前の少しの間、面白い話を聴かせてくれたり、ギターの弾き語りを披露してくれたりするのだった。
一時保護所の職員だけではなく、本館のケースワーカーも当直に入ることがあった。

私の担当のケースワーカー(私を悪魔主義者と言った先生※シリーズ①参照)は、「神」の話をした。
キリスト教や仏教などメジャーな宗教やギリシャ神話ではなく、何か神秘的な名前の神様で、なぜか私たちはその神様の実在を信じた。

当時、少年ジャンプに連載したり原稿を落としたりしていた「Bastard‼︎」が好きだった。
主人公のダークシュナイダーが契約している神に「ブラックモー」という名の神がいた。
Deep purpleのリッチー・ブラックモアをもじった名前からも分かる通り、架空の神であるが、私は神の話をする先生に、「ブラックモーとかもいるんですか?」とたずねた。
先生は、「よく知ってるなぁ!」と感心してくれた。

不思議なことに、私は先生の話を疑わなかった。

私のケースワーカー

私はこの先生のことが大好きだった。
明るくて人懐っこい笑い方をするおじさんだったが、父親のいない私にとって、父親のような存在のひとりだった。

彼も私のことを好きだったと感じていた。
私の個性を愛し、私の人格を尊重してくれた。
児童福祉に携わる人の誰もが、そんな風に振る舞えない。
彼らは福祉従事者である前に人間だった。
そのことの証が、この先生が言った「悪魔主義」という言葉と、Cの放った「宮崎勤」という残酷な呪いの言葉との間にあるのを私は見つけた。

先生は自分の話もしてくれた。
昔から人前で話すのが苦手で、それを克服するために落語を勉強したと言っていた。
神の話を子どもたちに信じ込ませる不思議な話術は落語由来のものだろうか。

この先生とペアだった心理士の女性の先生と、大人になって偶然再会した。
当時、私は福祉に携わっていて、利用者の療育判定に付き添った際に対応してくれたのが先生だった。

再会を喜び、思い出話に花が咲いた。
しかし、ケースワーカーの先生が既に亡くなったということを聞かされて悲しかった。

色々な話をしたかった。感謝の言葉を伝えたかった。

児童相談所とは、世間から少し離れた所にある機関かも知れない。
普通の学校で知り合う友だちや先生との関係のように、地域や機会で繋がりにくい。
特別な絆、特別な関わりがあったとしても、一度離れてしまうと、二度と出会うことは無いのが普通だろう。
そういう、独特な間合い、独特な距離があるのかも知れない。

しかし、私はこの心理士の先生の他に、2人の恩師と偶然再会している。
私は幸運だったと思う。

まだまだ続く。

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