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羊角の蛇神像 私の中学生日記⑥

中学生日記はいつしか小学生日記へ。
さらに時は移り19歳の私はかつて好きだったKさんと偶然出会った。

最強の戦士、W

Kさんは言った。

私、Wくんが好きやったんよ。

我がバトルフィールドで最強の戦士、W。
長身から繰り出す鋭い手刀は蜘蛛の糸を斬り、鋼の蹴りはカマキリの首を断つ。

背が高く、顔が良くてスポーツができるグループのNo.1。
私は少し狼狽しなから「そうなんやぁ」と言って、納得のあいづちを装いながら羨望が顔に滲むのを誤魔化した。

私は高校生の時にWを目撃したことがあった。
部の大会が彼が通う高校であり、私は渡り廊下か何かの上から、友人たちとはしゃぐ彼を眼下に見た。
高校生になってもスラッとしていたが底意地の悪そうな吊り目はそのままだった。
こんな程度の低い学校、しかも男子校で男友だちとよろしくやってるが良いさ。
まあ、私も同レベルの、世間の評価で言うともっと低い、底辺の、男子校だったが。

私が築いた悲しきバトルフィールドの話はこれで終わりだ。
みんな、元気だろうか。

ありの行列

時間は中学1年生の春に戻る。

私は私以外の「明るい」級友たちとともにすごした。
勿論同調圧力に飲まれてそう自己紹介した彼らであったが、明るいやつもいれば暗いやつもいた。
みんな、ロボットなんかではない、血の通った人間の子どもなのだ。

私には友だちができた。
なんだかんだ言って、転校エリートの私にはすぐに友だちができた。
私はぼけっとした愚鈍な佇まいで、高い知能や内なる暴力世界を隠していたので(普通に愚鈍だった)、世話好きな誰かが声をかけてくれた。
また、グロテスクで幻想的な絵を描き、突飛な言動をする私は、一部のマニアの好奇心をくすぐるタイプの子どもだったのかも知れない。私には幼馴染も故郷も無いが、子どもたちの社会でそういう生態的地位につくことで生きていた、そういう子どもだったのかも知れない。

中学生の私たちは学校の帰り道、少しだけ遠回りをしながら、ありんこの行列をはいつくばるようにして熱心に観察したり、好きな女子の話をしてキャアキャア騒いだりした。
スクールカーストが徐々に形成されていく中で、そういう戦略とは無縁の、愚かで無垢な子どもたちのひとりだった。

いつも帰るメンバーはいっしょだった。
私がHさんを好きだと言うと、Hさんを小学生の頃から知っているOは「ウッソッやっろ!」と驚いていた。

Hさんのこと

Hさんは隣のクラスだったが文化委員で一緒になった。
髪の毛の色が少し明るい他は、特徴の無い、普通の女子だった。
Hさんと同じクラスの文化委員の男子と、2人はつきあっているとかどうとかの周囲のからかいがあり、たったそれだけのことで私はHさんを意識した。
Hさんは陸上部だったが、運動神経が悪かった。しかし、まじめだった。
マイコン部所属の私は、校舎の窓辺に立ち、グラウンドで走る彼女の乱れたランニングフォームやハードルを倒す様子をこっそりと見守ったものだ。

ちなみに、私はHさんのことを密かに「ハニー」と呼んでいた。
名前をつけることが気に入った私は、他にも気になる何人かの女子に名前をつけた。

  • アニー

  • ボニー

  • マギー

  • バーバラ(今思えばバーバラが一番美人だった)
    ※このあと卒アル見返したらマギーが超絶美少女だった

とか。
ある時私は黒板に彼女たちの顔を描き、目や鼻のかわりにアニーとかを書いて並べたことがあった。
狂っている。

Hさんとは文化委員で一緒になっただけで、何か特別な交流があったとか、そういうエピソードは無い。
しかし、はたちを過ぎたある夏の日、電車の中でHさんを見た。

彼女はドアの脇に立っていた。
すごく汗をかいているのをこっそりと見ていると、スカートをはいたその太ももに汗が流れるのを見た。

Hさんの思い出はこれだけだ。
元気だろうか。

阿部寛と呼ばれて

運動のできない私にとって、体力測定は地獄だった。
握力がたったの15kgしかなくて悲しくなっていると、向こうで歓声が上がった。
クラスの、肝っ玉母さん的存在の女子であるシルバーバック姐さんが握力計で30kg台を叩き出したのだった。
シルバーバックネキは、Aマッソの村上さんに似ていた。

認知のOverdrive効果もあって(本シリーズ④参照)私は人の名前を覚えるのが苦手だったが、顔の記憶力は高い。
クラスメートだけではなく、電車などで見かける人のことをずっと覚えていたりする。
タイプの女性とかではなく、特徴的な顔のおじさんとかの顔をよく覚えていて、前見た場所と違う所で見かけた時に、「この辺に住んでるのかな?」と考えたりする。
全く接点の無い、赤の他人のことだ。

それで、運動神経が悪く愚鈍で空気が読めないくせにハニーやアニーの絵を黒板で描く奇妙な私をからかう人たちが現れた。それはごく自然なことだったと思う。

ちなみにシルバーバックネキは人をからかうようなことのない、むしろ弱い人を助けるような正義のゴリラだった。

少しヤンキーっぽい雰囲気の女子2、3人にからかわれるようになった。

最初の頃は攻撃的で冷たいいじり、からかいだったと思う。私は女子との交流に慣れていない悲しきサイコパスチェリーだったので、彼女たちのからかいがつらくてしかたなかった。
しかし、なぜか彼女たちの私に対する態度は徐々に変化していった。親切にされるようになったのだ。

私のことを阿部寛に似ていると言い、「アベちゃん」と呼んで何かと気にかけてくれた。

クロエのこと

私が学校を休みがちになっていた頃のことだった。
老いた特別学級の先生が、消されていない黒板を見て、「日直誰や?」とたずねた。
日直は私だった。
学校にまともに通っていなかったので、日直の仕事を忘れていたのかも知れない。

不登校予備軍の私は先生たちの間で情報共有されていたようだ。先生は私の顔を見て、少し間を置いてこう言った。

彼は病気だから他の誰かが消しなさい。

配慮のない言葉に私は言葉を失って凍りついていた。
今思えば、先生にそういう気の使わせ方をしたことを申し訳ないと感じる。

その時に、私をアベちゃんと呼ぶ女子の中でも、特に声をかけてくれていた女子が、「病気とちゃうやんな!黒板くらい消せるやんな!」と憤慨して言ってくれた。
その頃の私の心の火は消えかけていたので、ただ黙って座っていることしかできなかった。
その頃の私に、彼女の優しさを感じ取る感情があれば良かったが、そうではなかった。

水泳の授業の時、プールのレーンを挟んですれ違いざまに、「アベちゃ〜ん!」と声をかけて笑ってくれた光景がよみがえる。
記憶の中の彼女は水の中で輝いている。

この女子は、今思えば美人だったし、優しかった。
そうだ、クロエ・グレースモーレッツに似ている。
少し特徴的なクロエの顔に魅かれて、いくつも映画を観た。
私はクロエにこの子の面影を見ていたのかも知れない。

押しの強さにひるんで、まともに話すことができなかった。
私が学校に通い続けていれば、彼女ともっと仲良くなり、対等な関係が築けただろうか。
心が闇に蝕まれる過程の、崩れそうな私の背中に手を差し伸べてくれた、本当の友だちだったのだ。

今どこで何をしているのだろう。
あたたかい家庭を築き、良きお母さんになっているかも知れない。
どうか幸せでいてほしい。
ありがとう。

前回、「物語は急速に進み出す」と書いたけど、女子の思い出がよみがえってしまい予定を変更した。
私の心の旅はゆっくりと進む。
記憶とはそういうものだろう。

羊角の蛇神像 私の中学生日記⑦へ続く

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