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羊角の蛇神像 私の中学生日記⑧


完全に社会と隔絶された夜の国でかろうじて息をしていた私を、太陽の世界に繋ぎとめようとしてくれた存在があった。

学校の帰り道でありの行列を眺めたり、私がHさんを好きだと言った時に「嘘やろ」と驚いた友だちのOだった。

空っぽな心

彼がどの位の期間、そうしてくれたのかは覚えていない。
彼は毎朝うちまで回り道をして、私を迎えに来てくれたのだった。
私は彼に顔を見せることができなかった。
誰がどんな風に声をかけようが、夜の王の玉座に縛られた私の心と体を解放することはできない。

母がいつも彼の応対をした。
「ごめんね。今日も起きれないみたい」
母もつらかっただろう。

空虚な心で私は彼の声を聴いていた。

心が空っぽだとか、心が死んでいるという状態は経験した人にしかわからないだろう。

高校生の時、私はあるお姉さんにこんなことを言われた。

「君の心には何も入っていないの。だから、お姉さんが君の心が空っぽでなくなるように、たくさん話すよ。」

その人は、私の目をまっすぐに見つめてそう言った。
悲しそうに微笑んで、祈るように言った。

空っぽな心についてはいつかまた話そう。

とにかく、今こうして文章にすることで、当時の記憶が鮮明によみがえる。
そうして、クロエやOが私のことを友だちとして大切に思い、それを言葉や態度で示してくれたことを今になって理解した。あの時自分が、かけがえのない友だちに背を向けたことも。

その時の私は死人だった。
どんなに優しく語りかけても死人が答えることはない。

内側から腐敗する人間の形をした何かを、太陽が眩しく輝く昼の世界に繋ぎ留めるのは、つらい徒労だったろう。
彼らへの感謝と申し訳なさが今になってあふれてくるのだった。

この悲しみが誰かに伝われば良い。
私はこの数日、泣いてばかりいる。

Oについて

それは知らなんだ。

Oの口癖だった。
「そうだったのか」のニュアンスで使うその言い回しがおかしくて、ある時私はそれを指摘した。
自覚が無かったようで「おれそんなこと言うとうか?」と否定したが、もうひとりの友だちの証言もあり、彼は認めざるを得なかった。

それは知らなんだ。

そういう、おっとりとした素朴なやつだった。

Oとはクラスが一緒だった。マイコン部も一緒だったが、仲良くなってから一緒に入ったのか、その辺りは忘れた。
古い友だちと会う機会が無いと、古い記憶は薄れていくばかりである。

マイコンとは、言わばパーソナルコンピューターの前身のようなものだろう。プログラムで円を描いたり、単純なゲームを作ったりしていた気がする。

Oとははたちぐらいの時に偶然再会した。プログラミングを勉強していると言っていた。
中学の時からずっと好きなことを続けていたのがOらしかった。あいつは根気強いやつなのだ。

「もう来なくて良いよ。ごめんね。」

ある朝、私の母が申し訳なさそうにOに伝えた。彼が毎朝、どんな気持ちで私を迎えに来てくれたのか、私は知らない。
顔も出さない私のことを、なぜ最後まであきらめることができなかったのだろうか。
ただ息をして、時間が過ぎるのを他人事のように傍観する。そんな心が死んだ自分には、Oへの感謝や申し訳なさといった感情や興味が全く湧かなかった。

なぜ連絡先を聞かなかったのだろう。
はたちの時の私は伝えていない。
感謝の気持ちを、ひとことも。

再び、クロエのこと

昨日、卒業アルバムを見て、クロエを探した。
名前を覚えていないが、顔を見ればわかるはずだった。
赤の他人の顔を覚えるのが私は得意なのだから。

しかし、見つからなかった。
握力30kgのシルバーバックネキは思い描いた通りの顔だった。マギーやアニーもいた。
クロエはどれだろう。かつての私の友だちなのだ。

記憶の中のクロエの顔がぼんやりと霞んでいく。

私は、OやKさんやHさんやWを見つけることができた。
クロエのことも見つけたい。そのためには気づかなければならない。顔を覚えていないといけない。
ありがとうを言わなければ。

この手記のこと

つらい。
登校拒否のその先の、面白くて強烈なエピソードが書きたくて始めたが、学校に行っていた頃や行かなくなった頃の記憶がよみがえってつらい。

その時の自分の空虚な毎日、先の見えない不安のことよりも、感情が死んでいたこと、それによって周りの人の優しさに気がつけなかったこと、そして、それを伝える術が無いことがつらい。

かつて私の心は自分のことだけでいっぱいだったのだ。
人の優しさを感じたり、それを返すことができるのが、本当の人間の心の有り様だろう。
お姉さんが私に伝えたのはそういうことだ。

人と人との心が通い合うことは、なんて美しいことだろう。通わせることができなかった子どもの頃の私と、私に向き合ってくれた人たちの寂しさを想う。

貧しき空想に浸る

書いていて思い出したことがある。
カジュアルな、愉快なことを書いてバランスをとりたい。

私はドラクエIIIを何度かプレイした。
何度目かのパーティの名前はこうだった。

  • したるた

  • たった

  • すしゃた

  • あなんた

そう、中学1年生の頃、手塚治虫の「ブッダ」を読んで私はすごく感動した。一時期僧侶になりたいとさえ思った。

手塚治虫「ブッダ」より

ブラックジャックと火の鳥も読んで、夢想家の私はその世界観に圧倒された。
それで、その次のパーティは、私を勇者にして、仲間をHさんやアニーやマギーの好きな女子で固めた。

その次のパーティは勇者をHさんにして、他の全員を女子にした。私はドラクエの世界からも消えた。

不登校が始まってから、私はゲームをあまりやらなくなったと思う。Hさんが勇者になったあとは、勇者の格好をしたHさんや他の女子たちの絵を描いていた。

そして、空想の世界に浸るようになった。
私は14歳で超能力に目覚め、15歳で魔法が使えるようになり、16歳で世界を支配する。
私はAndrewと名乗り、Hさんたちをはべらす。
そういうきつい空想に耽りながら、それらに関連した絵を描いたりした。

思い出してガッカリしている。
ダサくてつまらない。
13歳の私の想像力はその程度だったのだ。
外の世界からの刺激を受けることの無い少年は、空想さえも貧しかったのだ。

40歳になって描いた絵
中学生の頃と比べるとマシになった


羊角の蛇神像⑨へ続く

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