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羊角の蛇神像 私の中学生日記①

中学生の頃にお世話になった先生から荷物が届いた。
丁寧に巻かれた梱包材を剥がすと、羊角の蛇神像が現れた。
この陶製の作品を作ったのは中学生だった私で、先生は30年間大切に保管していてくれたのだった。

私の、中学生の頃の話をしよう。

羊角の蛇神像

児童相談所へ行く

中学生の頃、不登校でひきこもりだった。

当時はインターネットもスマートフォンも無い。不登校やひきこもりは社会からの隔離を意味していた。
朝の「ひらけ!ポンキッキ」を観て眠り、夕方の「みんなの歌」で目覚めた。
当時の深夜番組のあとのコンサート情報ではジッタリンジンの「プレゼント」がよくかかっていた。

ある時、母は買い物に私を連れ出してくれたが、途中で学校の先生の車に乗せられて児童相談所へ行った。
母に騙されたことに怒りなどわかなかった。
安堵していた。
このままずっとひきこもったまま、時間とともに社会との断絶が深まっていくことを、当時の私なりに恐ろしく思っていたのだ。

児童相談所は、私のように何らかの事情を持つ子どもとその親や関係者が相談をしたり、学校や施設との調整を図ったりする機関である。

多くの子どもがそんな所に縁の無い生活を送り、そのまま大人になっていく。
どんなにつらいことがあっても、私のように学校を休むことの無かった人たちは立派だ。
しかし、私は学校に行けなかったことにむしろ感謝している。
普通の子どもとしてすごしていたら、出会えなかった様々な人がいて、経験できなかったことがあったからだ。

このシリーズでは、そういった特別な出会いや出来事を紹介したい。

本文とは一切関係のない写真

君は悪魔主義

児童相談所では、ケースワーカーと心理士のふたりが私の担当となった。先生たちはいつも優しく言葉をかけ、私の話に丁寧に耳を傾けてくれた。
孤独でいびつだった私の心の天蓋に穴を穿ち、やわらかな陽光を届けてくれた人たちだった。

先生たちと私は、ロールシャッハや箱庭などいろいろなテストをした。IQは130だった。
ある時、木や人を描くテストがあった。
絵の得意だった私は、角のある魔女のような半人半獣(半人半魔)の女性を描いた。
その絵を見てケースワーカーは優しい眼差しで私にこう言った。

「君は悪魔主義者だね」

谷崎などを知らない私が初めて聞いたこの不思議な言葉は、他のどんな褒め言葉よりもうれしかった。
この言葉は、その後の私の人生において、宝物でありひとつの指針となる。

小学生の頃の私(右)
転校が多く6つの学校に通った

一時保護所へ

片親でひとりっ子だった私は母との2人暮らしだった。私の不登校に母も疲れ果てていたし、それ以前に私たち親子の関係には色々な不具合があったと思う。
それで、ひとまず一時保護所に入ることになった。
中学1年生の春休みの頃だったと思う。

このように書くと母が親として不手際があったような誤解を与えそうなので念のためフォローする。
母は離婚後、父から養育費をもらわなかった。主にアパレル関係で夜までバリバリと働いて私を育ててくれた。
私が尊敬する人物は母だ。

風の中で撮影に応じる母と私
なかなかおしゃれな親子ではないか

一時保護所には、幼い子から高校生までいろいろな子たちがいた。
周りの建物から囲まれるようにある正方形の庭にはあまり日が差さなかったが、私たちは先生たちと毎日、何時間も野球をした。

モニカ、もうひとりの少女と

砂場やちいさな遊具のある一角で、ハーフの幼い姉弟と遊んだ記憶がある。洋名の友人などあまりいないので、その4歳位のモニカ・リッチの名前を今でも覚えている。
ひとりっ子の私は小さい子どもと遊ぶのが好きで、モニカにとても気に入られてうれしかった。
もうひとり日本人の10歳くらいの女の子がいて(名前は忘れた)、ふたりの取り合いになった私はまんざらではなかった。

彼女たちにもそれぞれの事情があったのだろう。親と離れて暮らす中で、誰かに甘えたかったのだ。
そうして、私もまた孤独な魂を彼らに慰められたと思う。

そこにはそういう子たちもいた。
彼らはある日そこへ来て、何の予告もなくどこかへ去っていった。

モニカとその少女に、大きくなったら結婚したいと言われた。
13歳の私はどう感じただろうか。
幼い彼女たちが口にしたその言葉で、いつか自分が恋をしたり、大人になることを想像しただろうか。
学校にさえ行けない自分に、そんな未来が訪れるわけがない。
将来に不安しか感じていなかったその頃の自分に、未来を自分自身で作っていくイメージや自信など無かった。
私は変わらなければいけない。
学校に行かなければいけない。
しかし、その「力」が自分に備わっていないことだけが実感できていた。
学校に通うことに「力」が必要という感覚が、不登校をしたことのない人に伝わるだろうか。
とにかくその頃の私はそういう不安の中で、誰かに助けてもらわなければどうしようもないと感じていた。
だから、児童相談所の先生にも頼ったし、これからも誰かの助けを借りて生きていくのだと感じていた。

「結婚したい」と言った幼い少女たちは、その頃の私よりもずっと自分の未来に前向きだったのだ。
今頃どうしているだろう。
幸せな人生を歩んでいてほしい。

羊角の蛇神像 私の中学生日記②へ続く

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