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第3回 結婚の原則 〜自立について〜

前回、第2回結婚の原則の中で「人間観」について学びました。

この人間観に基づいて、結婚の原則をいくつかあげました。
①神は人を男と女に創造したこと
②人は父と母を離れてふたりは一体となること
③人は神が結び合わせたものを引き離してはならないこと

今回は、この中でも②にあげられた「人は父と母を離れてふたりは一体となること」について取り上げていきます。

この原則は「自立」に関することです。

もう一度聖書の言葉を確認します。

イエスは答えられた。
「あなたがたは読んだことがないのですか。
 創造者ははじめの時から『男と女に彼らを創造され』ました。
 そして、『それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体
 となるのである』と言われました。
 ですから、彼らはもはやふたりではなく一体なのです。
 そういうわけで、神が結び合わせたものを人が引き離してはなりませ
 ん。」
                    (マタイの福音書19章4~6節)

聖書新改訳2017

これはイエス・キリストが結婚・夫婦関係について語った聖書の箇所です。
この中でキリストはまず第一に、結婚、夫婦の関係というものが単に人間的な結びつきによるのではなく、神によって定めらた、神の原則があるということを語っています。


今回注目したいポイントは、
「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである」
という言葉です。

これは、聖書の創世記に記されている人間の創造の出来事に関することばです。

創世記によれば、神は人を男と女とに造られました。
人は一人で孤独に生きるのではなく、心のふれあいのある共同体の中で、生かされていくものとして造られました。

はじめの人(男)に対して、向き合う存在として、女が彼のあばら骨から造られ、結婚によってその二人が一体(ひとつ)にされるのです。

結婚の奥義がここに示されています。

それゆえ、人間共同体の基礎は、夫婦関係であるということができます。

結婚によって一体とされた男女によって家族が形成され、その子どもたちはここから離れ、また新たな一体が形作られていきます。

それゆえ、結婚を成立させるためには、子どもはまず、父と母を離れなければならないのです。

親からの分離

「離れること」と「結び合うこと」には深い関係があります。
男女は真に親から離れて初めて結び合うことが出来ます。

離れるとは、単純に親とは別々に生活をするということではありません。
自分たちの生活や判断において今後は二人で責任を持っていくということです。

・法的
・経済的
・精神的
・生活面において
・子育てについて

その他様々な事柄について二人で話し合い、それらを親に責任転嫁しないことです。

結婚後も何か大切な出来事が起こった時、二人で話し合うよりも親を頼りとし、妻や夫の意見よりも親の意見に従うならそれは二人の間に他者を介入させてしまうことになります。
(親にアドヴァイスをもらってはいけないということではありません)

結婚は本当の意味で、子どもにとっては親離れ、親にとっては子離れのときでもあります。
親にとってもそれはチャレンジングなことでしょう。
口をはさみたいことをぐっと我慢する忍耐が問われます。
特に日本人は親と子の絆を大切にします。
母親が子どものへその緒をとっておくのは象徴的です。
へその緒は、自分と子どもを結んでいた絆の象徴だからです。
一方、欧米では親はへその緒ではなくてファーストシューズを記念とするようです。
それは、親から自立していく第一歩を象徴しているものだからです。

さて、この原則を考えるならば、親から自立できない者は結婚すべきではない。
あるいは、結婚しても何らかの問題が発生するということです。

ですから、結婚を考える時はまずは自分と親との関係について改めて向き合ってみるとよいと思います。
そして、二人でも自分たちの両親について、あるいは今後の両親との関わり方について話あってみましょう。



夫婦の一体性とは

まとめると、
「結婚とは、男女の異なる人格が、親かな離れ、結婚によって一体となる」
ということができます。

結婚式の誓約で、司式者が
「相手が富める時も、貧しき時もそれを愛し、敬い・・・堅く節操を守ることを誓うか」との言葉は、夫婦が一体とされる奥義を認めよということでもあります。

一組の男女が結ばれることで、そこには誰も入り込む余地のない関係が生まれます。
まさに一心同体となります。

その一体性は、まずなによりも性的な面での一体です。
この夫婦のセックスの間に、ほかの者がはいってはならない、不純であってはならない、お互いを裏切ってはならない。そして、お互いがわがままに相手を拒んではならない、大きな同情と愛をもって、互いが互いの肉体を互いに与え合う、ということで一体であるということです。

さらにそれは、性の一体ばかりではありません。
夫婦は心理的な一致を築くものです。
夫婦はこれまでの生活環境、性格、趣味嗜好、そもそも人格が異なります。
このように考えが違うということが前提にあります。
それで良いのです。
それらが補い合って、満たし合い、心が一つとなるからです。

もう一つ、加えるならば、大切なのは人生の目的の一致ということです。
話し合い、相談し合い、一緒に暮らしていく内に、緊張と調性を繰り返しながら、人生の目的を一つにしていきます。
子どものこと、生活のこと、仕事のこと、親のこと、・・・・・それぞれ別々な時間を過ごしながらも、相手とその視線を一つとするなら満たされた人生の時間をすごすことになります。

もし、互いが同じ信仰を持っているとするならそれはとても素晴らしいことです。
同じ価値観を持ち、またクリスチャンであれば、神の栄光の目的に合致していきます。

このように結婚は、ほかのどんな人間関係にも見られない充足感、喜び、平和があるのです。

結婚は結婚式を挙げたら、ゴールインではありません。
そこから一体となる旅路がはじまるのですから。



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