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古道具が好きであること / 倉敷芸文館懐かしマーケット


2024年6月30日(日) 早朝4時起床。
いつもの出勤時間は10時半だが、この日は5時半までに出勤。眠い目を擦りながらスマホを手に取り、こんな日でも毎朝のルーティンとなったDuolingo英会話を欠かさない。アプリを起動させ、1ステージだけクリアした(現在ログは78日目)。なんだかんだ語学に触れることが好きで色々試してきた結果このアプリがしっくりきている。



毎朝5分弱の学習だが、ログが更新され続けるたびに自身の頑張りが記録されていくから、少しニヤけてしまう(僕は本当に単純なやつなんだ)。

ささっとステージをクリアしたところで今日もログを更新したことにホッと息をつく。岡山駅に近いマンションに住んでいるが、早朝4時というのはとても静かで周りの住人もまだ寝ている。僕もお隣さんも窓を開けているせいか、隣人からは寝息が聞こえてくるほど静かな時間だ。駅前のマンションだというのに日常とはかけ離れた静けさが漂っている。これがなんとも心地よくてまた寝てしまいそうになる。


顔を洗い、ボサボサの頭も濡らし、髭を剃って髪をセットする。と、ここで一服しようかと考えたがリズムが崩れそうでやめた。マンションのすぐ隣にパーキングがあり、止めていた自家用車に乗った。エンジンをかけるといつも気にしていなかった音にビックりして、同時に心地よかった閑静な場所に申し訳なさを感じた。向かう先は倉敷にある本社、ここから大体30分程度で到着する。

実はこの日、倉敷美観地区周辺にある倉敷芸文館という場所で「懐かしマーケット」が開催される。このイベントは毎年5回ほど開催されるため、岡山の古道具好きのためのメインイベントの一つでもある。古道具好きなら知っていて当然の催しもの。タイミングによっては岡山各地、たまに近隣の県外からも出店をしに集まることがある。




僕たち(キミドリ)はありがたいことに主催の方から毎回この「懐かしマーケット」にお声がけいただいている。古道具が好きな人は100%集まると言ってもいいイベント。正直どのイベントも楽しく、毎回一発勝負の出店に胸が高鳴るのだが、それでも「懐かしマーケット」というイベントには力が入る。

倉庫に到着したところで時間がありタバコを一本。
今日はアイニクの雨予報。最悪だ、なぜならイベント開催場所は外だからだ。でも、「晴れたら暑いから絶妙な曇り空であってください!」とタバコの煙で雲が形成されないかなとバカな発想をしていた。

スタッフが揃ったところでいざ出陣。
今日はいつもより多い四人体制での出店だ。2トントラックの中に古道具や食器、雑貨をこれでもかというくらい載せてある。たくさんの店舗でイベントを最高に盛り上げたい気持ちと、どこの店舗にも負けない圧倒的覇者でありたい精神もまた僕は持ち合わせていた。毎回このイベント準備中、必ず一回は「この量持っていけるかなー」とボヤいてしまうほど物量では他店と圧倒的な差があると自負している。
このジャンルの豊富さは会社のポテンシャルの一つであると同時に買取依頼をしてくださるみなさんのおかげだ。

到着して早々、展開ブースまでトラックを近づけると荷下ろし作業が始まる。降ったり止んだりと気持ち悪い天候が続く。とにかく荷下ろしを早く済ませてレイアウトに取り掛かりたい。四人だったこともあり、いつもの倍の速さで準備が進んだ。あたりを見渡すとこのイベントを見に来たお客様がすでにちらほら歩いていた。他店の方々も雨を気にしながら黙々と自分のブースを完成させることに必死であった。




経年のサビで味わい深くなった道具、あの時熱狂したレトロなオモチャや人形だったり、倉敷芸文館の広場はあっという間に古道具たちで溢れかえった。そしてこのイベントを楽しみに待ち構えた古道具オタクたち(僕らも同じだ)もこぞって金塊を掘る目つきになってブースを見始めていた。その人たちを見ていると、声色や目から伝わる僅かながらのワクワク感とヒリヒリ感が身体の中に伝わってくる。

抑えていた「物欲」が少しだけこぼれ落ちたような瞬間に僕は惹かれ、こういう人間味というやつが面白くて、つい人の動きも観て楽しんでいる。


毎回購買数だけでも200組以上の会計があるキミドリブースだが、どんなものでも売れてしまうこの環境に驚く時がある。どうみても流石にこれは販売が難しいだろうと思われる翼は折れて、細かい部品も欠けてしまっている戦闘機の模型や指人形ほど小さいプラスチックのレトロポップなフィギュア。
襤褸襤褸になった布きれ、穴が空いてスカスカになった木鉢。

これら全てゴミではない。
”眠ったままの価値があり、売れるもの”なのだ。「古道具好き」にかかれば”朽ちてゴミになったものではなく、光るダイヤモンドの原石”のように映っているのだそう(そんなことを以前購入者の方に聞いたことがあった)。

確かに、お店で販売している時も周りがゴミと言ってしまうものに僕や他のスタッフは違うベクトルから価値を見ている(見たい)、もしくは見出そうとしている。それは仕事だからではなく、好きだからだ。価値がないではなく、どんな価値が眠っているのかを考えたい。

そう考える人たちできっと、このイベントもまた成り立っている気がした。古道具”愛”ってやつかもな。アイ、あい、愛。どこまでいっても最後は人の気持ちが全てなんだですかね〜きっと。

足も丁寧に家具を磨こう。


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