「レイアウト」は奥が深くて正解がない。 というか、「正解がない」わけでなく「正解だらけ」なのかもしれない。 お店で商品をレイアウトしたり自宅で家具をレイアウトしたり、目的や間取りなどの環境によって考える動線は異なる。「商品の見栄えも良くていいレイアウトができた!」と満足のいくレイアウトができたとしても「とりあえずいいアイデアが思い付かないからここに置いておこう」と何気なくレイアウトした家具の方が見栄えよく写って先に購入に繋がるケースだってある。 某ロックバンドが言っていた「
「人」と「道具」と「植物」は互いに補い合っている。僕らは生活の仕方やリズムが「人」によって違うから、自身に見合った「道具」を上手に選択し使いやすいように、まずは生活そのものを実用的に整えようとする。もちろん”それだけ”で生活は成り立つのだか、インテリアを扱う身としてはどうしても勿体無いと考えてしまう。 実用的に整えた空間が悪いとか、こういうモノを取り入れるべきだ!とかそんなことを言いたいわけでも、強制したいわけでもない。 ただ、「少し味気ない気がしない?」って考える時がたま
「場所」が「居場所」になる。 1月に彼と会った一夜では明確な「解」は出なかったが、この言葉だけを頼りにしていた。その後、彼は仕事でまた東京へ帰ったのだが、3月に「場所が居場所になりゆる」場所を探しに出かけようということになり、とりあえず休みの日程を合わせ、出かける約束をした(カップルかよ)。 僕は漠然とした試みに新しい何かが始まる予感がして胸がいっぱいだった。 2月3月中旬とお互い特に連絡をとることもなく、というかお互いサラリーマンでもあったし忙しかったのだが、ほとんど
彼がインスタグラムで呟いた、「誰にも所有されていない公園があったらいいのに」と。そして僕も共感し、思った「そんな場所を作ってしまおう」と。 彼とは共通の知人たちを通じて知り合った。(その共通の知人も”ある”古本屋で出会ったのだが)お店のお客様として足を運んでくれたのが最初で、その時普段何してる人で何を考える人なのか全くわからなかったけど、なんとなく感性のベクトルが似ているような気がした。だから当然意気投合した。 休みが被ったりすると一緒に遊ぶようになった。彼は普段、東京と
うわっ!お金だ! まだ入荷して日が浅い無垢材の小引き出しをスタッフが掃除していたところ、引き出し内に敷かれていた折り込みチラシの切れ端の下から(湿気などが気になったり、古い引き出しの中にはよく敷かれていることが多い。先代の知恵的な?)お札を2枚見つけた。これは絶対そうだ。所謂「へそくり」っていうやつだな。 今回はお金だったけど、古道具買取あるあるの一つで百発百中(は言い過ぎかも)小引き出しを買取するときはゴロゴロ、コロコロ、チャリチャリと必ず音がなる。その音は裁縫道具の待針
入荷した時から「この椅子はかっこいいなぁ」と思っていたけれど、毎日用もないのにじっと見てしまう(仕事しろ)。店内には腐るほどかっこいい家具が他にも溢れているのに、僕の世界では何番目かに美しい存在だ。 アームから脚部にかけて流れるように曲げられた曲木技術。これでもかと言わんばかりの曲げ具合は技術の賜物といえよう。テーパード気味にキュッと締まった脚元は特に美しい。 縁側へそっと佇む姿が僕には容易に想像できてしまう。 他を寄せ付けない雰囲気かと思えば、ジャンルに縛られていない実
を、開催。 開催、なんていうと大袈裟に聞こえるが、時に”同じようなモノ”が急にお店に集まるのだ。それは僕たちのサービスとして存在する「買取」だ。 このサービスのおかげで僕らは毎日、今日はどんなモノと出会えるのだろうとワクワクするし、リユースショップの醍醐味の一つとも言える。もちろん「買取」がない日も存在するが、毎日等しくワクワクしていることは間違いない。 少し前の「砥部焼」だって、このサービスのおかげでお客様からあれだけ多くのお品を買取させてもらえた。いつも買取のご依頼を
古道具キミドリ オリジナルノベルティが完成した。 スタッフの間ではたまぁーに作ってみようかと話題になったり、囁かれてはいたのだが、なんやかんや実際に作ろうとまで話が進まず… 「リユースショップキミドリ広瀬町店」から「古道具キミドリ(広瀬町)」へ。 今期からは他店と差別化した体制となり、店内は2店舗(キミドリ学南町店・キミドリ松島店)とはコンセプトも商品構成も全く違う。実際にお店に来店頂いた方なら見ての通り、店内は「食器」と「古道具」のみで占められている。 このコラム内で
一人暮らしを始めてから1年が経った。 まぁ実際のところ暮らしているわではない、実家へ行ったり来たりと借りた部屋はホテルに泊まるような感覚で使うようにしている。月に15日滞在すればよくいたほうかなってぐらい。 だからということではないが、駐車場も借りていなければ家電製品すら置いていない空間だ。あるのは大量に積まれた食器やら家具やら花瓶やらドライフラワーやら。兎にも角にもインテリアで埋め尽くしてしまった。実用性とは全くもってかけ離れている。 「あまりモノは持ちたくない派」と散
古道具キミドリには「特別な朝」が存在する。 誰も来店しない、おそらく僕だけしか知らない時間と空間、珈琲とタバコを片手にひっそりと楽しむのがここ最近のマイブームだ。(店内で吸っている訳ではないので悪しからず。) 古道具キミドリは2棟の建物からなるお店、元々パン屋さんだった路面側の箱と元々酒屋だった酒蔵に家具を敷き詰め、クネクネとしたレイアウトで展開、販売を行なっている。酒蔵の中に家具。というのが何だか不思議な感じもするのだが、いざあれやこれやとモノで溢れかえるとでっかい玩具箱
完璧に整った家具や道具が入荷するとは限らない。僕らは新品ではなく、中古品を取り扱うのだから当然である。日々食器や家具、古道具まで、お客様から買取をさせてもらえている。中にはジャンク品(動作確認が取れていない品)、かろうじて動いているものまで。 僕らは日々そうやって沢山の恵をいただき、販売できているのだ。 とは言ってもジャンク品ということになると、店内でもモノによっては店内でも動きが遅かったりするわけで、部品が足りなかったり直せないものは、インテリアとしての販売になる。経年の
1月20日(土)からスタートした古着屋ひよせさんとのポップアップが無事に終了した。3週間に渡る長い期間、古民家の風情と景観を楽しむ事ができる20畳あまりの空間を贅沢に使い、古道具を展開、販売させてもらえたことに感謝しかない。僕の心は終始満たされっ放しだった。有難うございました。古着屋ひよせさんの(プライウッド)会長、社長様へメッセージではあるが、お礼を伝えさせてもらった。 特に今回のポップアップに関しては、僕たち(古着屋ひよせと古道具キミドリ)だけでなく、期間中に参加してい
食器なんて何でもいいさ。ちゃんと器として機能するなら何でもいい。 そんな僕は今、食器が欲しくてたまらない。拘りたくて仕方ない。 お店で好きなお皿が目に入ると、「このお皿に何を乗せたら楽しいかな〜」「美味しそうに見えるかな〜」なんて事をよく考えている。 来週の2月10日(土)から、古道具キミドリでプチイベントを開催予定なんだけど、たまたまお客様から買取させて頂いたモノの中に大量の「砥部焼」があった。びっくりするよ。こんなに集まることって過去にあったろうか。しかも定番の「一筆書
普段これといって欲しいものがないので、買い物をすることは本当に稀である。そんな中、なぜか買うことをやめられないでいる”食器”。 僕は1人暮らしなので、使うものなんて限られてくるし、なんなら食べるものもほとんど変わらないから、9割5分同じ”食器”を使うことになる。 それでも、変わったデザインや好きな配色でつくられたお皿やカップ、特に民藝系や特定の砥部焼を見た時は物欲に駆られてしまう。いつからだろう、こんなに欲しくなってしまったのは。そもそも無印良品が中心だった僕の日常も、いつ
今回のフードとして出店いただいた「見習い農家」さん。 昨年、おしゃれなお店が立ち並ぶ岡山市問屋町テラス2Fに、cafe lunlunというお店をオープン。イベントなどへ出店される際は「見習い農家」としてキッチンカーでの販売をされるそう。 絶対食べて!”包み焼きピザ”。 めちゃくちゃ、めちゃくちゃ絶品!ピザを包むという発想。ここでしか味わえない味、面白いしうますぎる。 ゴロゴロとしたさつまいも、にんじん、ひき肉がぎっしりと入り、その間を縫うように絡まる濃厚なチーズ。口あたり
前回の記事に続き、今回のポップアップに体験型として参加いただいた書道家・アーティストの「仁胡」さん。 ”書く”というよりは”描く”といった感覚のような。 彼女が筆を執ると、それまで字の認識しかなかったものに息が吹き込まれ、躍動感に満ちていく。漢字の意味によって繊細さだったり力強さだったりが肌に伝わり、なんとも言えない緊張感で包まれる。 勇気を与えてくれるような、ピシッ!っと背筋が伸びるような。視界が鮮明になっていく様が好きだ。 今回の体験イベントはかなり贅沢で、古着屋ひ