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新生活が始まる。

 こんにちは、女上アサヒです。私の住む地域は曇りで
過ごしやすいです。でも、エアコンはまだ入れてますが。
 昨晩は寝落ちして、2時過ぎに寝て、起きたのは4時半でした。
「寝てない自慢」じゃないのですが2時間半しか寝られません。
その前に寝落ちをしていたので、どうにか身体は持ちそうです。
 最近、うつの症状なのか、シャワーに入るとき、
気合を入れるため、なぜか一旦寝落ちするんです。起きると真夜中。
普通はシャワーに入っていら気持ちいいはずなんですが、
私の場合は息苦しくなってきます。早く出なきゃ、という気持ちが
強くなって、シャワーから出る頃にはぐったりします。
 それで寝つきはいいのですが、すぐ起きてしまうという悪循環が
最近の私に起きています。薬も飲んでいるのに、どうにかならない
ものですかね…。


<<病歴と生活保護⑤>>
 年が明けて、あの声は可愛い『THE公務員』の方から電話があり、「受給が決まったので、保護課に来てください」という内容でした。
 私はホッとしたとの同時に県の『生活困りごと相談室』(仮)の方との繋がりが切れるというか、その方の役目が終わったので、もう相談事は保護課の方にすることになるのです。しかし、できない…。保護課の方は『圧』がすごいので、目の前にすると、頭が真っ白になるのです。身体はキツいけど、出来ることはなるべく自分でしようと思いました。今でもだいたいが、そうですが。
 実はその当時、家賃を3か月分貯めていました。受給された保護費はすぐに家賃から払いましたが、一気に3か月分払えば、また生活が苦しくなる。そのため、2か月分だけ支払い、未だに1か月遅れで支払っています。理解のある大家さんでよかったです。
 私の場合はこれまでお金がなかったので、少しでもお金があるとなれば、安心感から、少しは体調がよくなるようでした。親戚からはリハビリとして、ボランティアでもしたら? とも言われましたが、私は人混みが苦手なので、それもできず、保護費を受給されて以来、家で普通に暮らしているだけです。
 しかし、それも罪悪感があります。世間様は一生懸命働いてるのに、私は生活保護。たまにニュースになる不正受給。ネット上では生活保護受給者のことを生保(せいほ)ではなく、ナマポと呼ばれたり。そのせいか、肩身の狭い生活の始まりでもありました。
 心療内科の主治医の先生にそのことを相談すると、気にしない方がいい、気にすれば余計に気に病むから、とも言われ、私の中ではプチパニックです。保護受けられて安心感と罪悪感の間にいる。皆様の税金に生かされている。だったら、働けばいいのに、と思われるかもしれませんが、もう当時から、働くとことを考えると、身体が震えてくるのです。また主治医の先生からはこれまで好きだったことを止めないで、とも言われました。
 私は読書が好きなので、図書館で本を借りて読んでましたが、体調が悪い時は文字が全然、頭に入ってこなくて、読まずに返却することも多々ありました。一体、何のために生きているんだろう、仕事場のように居場所があれば、落ち着くのだろうかと考え、買い物でよく通るところに常連しか来なさそうな小さな可愛らしいカフェがあり、そこに思い切って行こうと思いました。しかし、そこに行こうとする決意まで、数ヶ月はかかりました。
 思い切ってそこのカフェに入ろうと決意したその日、シャッターが半分閉まってました。しかし、中を覗くとマスターが座っていて、閉めるところだったけど、問題ないとのことで入ることにしました。
 私にとっては大冒険でした。うつで、新しい人ととの関りが苦手になり、家では読書やアニメを観たりする生活…。それなのに、知らないカフェに
ひとりで入るのです。
 チェーン店とも違うそのカフェで私がマスターとしゃべっていると、常連客がぞろぞろと入ってきました。私は後悔しました。やっぱり、常連さんしかこないところは、急にこんなことが起きるんだと。幸いだったのは、『仕事は何をしてるんですか?』って聞かれなかったことです。もし、聞かれることがあれば、『無職』と決めていたのですが、誰にも聞かれず、その場は若手(笑)の私を受け入れてくれてパーッと盛り上がったことを覚えています。
 生活保護を受けて約1か月後くらいでしょうか。県の『生活困りごと相談室』(仮)の方から電話がありました。もうすべて、関りは終わったはずなのに何だろう? と思い、電話に出てみると『ある大学の講師の方が生活困窮者のインタビューを受けてくれる人を探してるので、協力してくれないか』というものでした。お世話になった方の頼みでもあり、私は二つ返事で協力することにしました。 
 私は指定された県の施設に行き、インタビューを受けました。『圧迫面接』だったり、インタビュアーの先生の言うことを導かれることなく、私の言葉をレコーダーで録音されました。質問は私が保護を受ける前と後の生活状況はどう変わったか、というものが多かったかもしれません。
私は特に金銭面で精神的に楽になったと答えました。未だに保護費が支給される前は通帳とにらめっこすることが多いのですが…。
あと、強調して言ったのは『生活保護は明日は我が身』だということでした。普通に生活をしていて、精神的に参ってしまい、生活には支障がない道具に囲まれているのに、保護のお世話になることになる。誰にでも起こることかもしれません。
 私は生活はインドア派で、ネットをしたり読書、コミックやアニメを観るのが好きです。それさえもいつかは、制限されるのか、という怖さが残りました。今でもそうです。数ヶ月後に1度は保護課の方(もうあの『THE
THE公務員』の方から担当は変わっていました)の訪問調査があって、『保護が打ち切られることが怖い』と話していますが、それは「ない」との返事がいつも帰ってきます。どうしてその話をするかというと、たまに全国ニュースで不正受給者が逮捕される報道で恐怖するからです。逮捕される方は受給者の中でもほんの数パーセントでほとんどの方が生活困窮者だそうです。
 それを聞いて安心したような、そこまで困ってる方が多いんだなと思うと複雑な気持ちになりました。現在はコロナ禍でさらに増えてると思います。しかも、私の時よりも、早く給付されるとらしいです。だから、いきなり市役所に行くのが怖いのなら、相談できるところに一度は相談して、保護課に同行してもらえる方を探した方がいいと思います。ひとりでは仕上げる資料も多くて、途中で諦めてしまうことも多いです。
 私が生活保護を受けてもう何年も経ちます。その間にアラフィフになってしまいました。再就職はきっと、パートやアルバイトのお仕事が主になると思いますが、今の体調では難しいです。友達でも働くママさんもいて、尊敬ものです。どこから、そんな体力があるんだろう、って。
 うつは繰り返すと言われてます。薬もどんどん増えてきてます。でも、慣れてきたのか、寝られません。普通の身体に戻ったとしても、年齢は戻せません。
 今はnoteでこうして自分のことを書いてますし、文章も書くのが好きなのでいつか、在宅で文章が書けるような仕事が出来たら、いつか保護なしでも生活が出来るかもしれません。
 小さな目標を少しずつ大きくして、叶えられたらいいというのが今の私の切なる願いです。
 
  

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