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約4年待ったのに…。

 こんにちは、女上アサヒです。朝方は秋の気配を感じるのですが、
昼過ぎになると、また夏に戻ってしまう私の住んでいる地域です。
 皆様のところはいかがでしょうか。学生さんはそろそろ夏休みも終わり、
お母さま方は一日3食の食事作りから解放されてほっとされてるのでしょうか。働くお父さまは…いつもの通り頑張ってるのでしょうね。
 私は相変わらず平凡な生活ですが、昨日、数ヶ月に一度の内科の検診に行ってきました。すると、担当お医者様から「ダイエット命令」がとうとう下されました…。1年でこれだけ太ったんですねって驚かれましたから。私もビックリしてますしw 自分なりに工夫して体重を減らしていけたら、と思います。


<<生活保護と病気①>>
 私が生活保護を受けて数ヶ月経った後、大好きな進撃の巨人のアニメの2期も決まっていました。残念ながら、私の地域ではテレビ放映はなく、有料の動画配信でなら鑑賞できるとのことで、その時間が待ち遠しく、
あと何日で始まる! と、子供のように(じっさいはおばさんですが)ウキウキ、ワクワクしていたことを覚えています。
 ですが、その頃から身体の異変を感じていました。一度、咳をすると、なかなか止まらないような状態が続いていたのです。止まるまで、数時間かかりました。飲んでいた液体の咳止めと風邪薬を併用してなんとか、凌いでいましたが、それも効かなくなったのです。
 生活保護を受けているので、医療費は保護費から賄えるのですが、役所まで行って、「医療券」を発行して頂くことになります。他府県の保護課もそのような方法を取り入れてるのかは知りませんが、私は徒歩生活でしたし、歩いて役所に行くより、家でゆっくり、のんびりしていた方がいい、そう考えてしまいました。今思えばそれがいけなかったんですね。
 ゆっくり歩いてでも、早めに医療券を取りに行ってすぐに病院に行けばよかったと今でも後悔しています。
 その咳はだんだんと酷くなり、一度、咳き込み、それが終わると、息が出来るまで息が止まる感覚がするのです。息を吸うことも吐くこともできません。しかし、それは5分くらいで、元に戻るので、「あぁ苦しかった!」と、呑気とは恐ろしいことです。
 そして、ようやく進撃の巨人の放送日が迫ってきました。ツイッターでは「もうすぐ2期が始まる」とのことで、進撃の巨人が確かトレンド入りしていたと思います。動画配信まであと10時間後には鑑賞できる!とワクワクしてきたら、なぜか急に動悸がしてきたのです。そんなに進撃が楽しみなんだな! と、進撃に集中していました。ドキドキが止まりません。また団長に会える! という楽しみもあったので、きっと、トキメキに近いドキドキだろう、と考えてました。(おバカだとは思わないで下さい。真剣だったのです!)
 すると、同時にあの酷い咳が始まりました。これまでよりも一番酷く感じ、咳をするたび、口の中から肺が飛び出すんじゃないか、と思うくらいの酷い咳でした。のども痛くなります。そして、嘔吐までしてしまいました。 
 大人になって二日酔い以外で吐くのは初めてで、咳って吐くことがあるんだ、と思わされました。それがいつまでたっても止まりません。それでも、私は進撃の巨人に意識が向いていました。このままじゃ、観られないから、ツイッターの盛り上がりを見るのを止めにして横になろうと思いました。
 すると、仰向けでもうつ伏せでも、胸が苦しくて寝られません。まだ咳は続いていて、嘔吐物の中に少量の血液まで混じっていました。私は肺から血が出てる! これはただことではない! とようやく気づきました。(あとから看護師さんに聞いたのですが、私の嘔吐物の血液は嘔吐のし過ぎで、喉が切れてしまったようで、肺からの出血はなかったそうです)
 もう夜中の2時になっていました。進撃の巨人の二期は確か放送日翌日の午後12時からの放送で8時間後には動画配信で鑑賞できるのです。だけど、身体はただ事ではない。苦しい。でも、体温は36,2℃。大したことないだろう。サイフの中を見てみると、少しはお金があったので、例え救急に行ったとしても、昼まで帰れる! と、高を括っていました。
 一応、ネットで私の状態「咳 止まらない」で検索をすると、肺炎が疑われました。以前の肺炎でも薬を処方されて返されたので、今回はそれだけだろう、予想していましたが、だんだんと体が動けなくなってくるほどキツくなってきました。
 救急車を呼ぼうか、とも思いましたが、ネットで「生活保護は救急車は利用できない」と見たことがあり、タクシーで行くか、救急車で行くか…と、1時間近く電話とにらめっこでした。救急車を呼ぶべきかと。
 咳はまだ止まりません。でも、胸は苦しく、熱は上がりません。なんだ、この症状は。とだんだん怖くなりました。進撃の巨人が…!必ず帰還して、昼頃には鑑賞しようと、心に決めて咳が落ち着くと119番にかけることにしました。
 私はやはり生活保護が気になっていたのですぐに「生活保護に入っていますが、救急車は呼べるのでしょうか?」と聞きました。電話口の方は『病院の方と相談してください。今、救急車を向かわせています』と言われ安心したのか、また酷い咳をしてしまい、嘔吐しながら、救急車を待っていました。何とか歩けはしたので、家から外に出ると救急隊の方が待っていて、『徒歩で入れそうなら、荷物を持って救急車に乗って下さい』と言う感じで言われ、私はバッグを持ち自分で家の鍵を閉めて救急車に乗り込みました。
 その時も咳をしていたので、すぐにマスクをするように言われました。何かの感染症かと疑われました。救急隊の方は数名いましたが、若い方が私の血圧を計ろうとしても、計れないのです。血圧が高すぎるからです。すると、いかにもベテラン救急隊員の方に代わり血圧を計ってもらうと上が「250」ありました。下は覚えていません。
 私は咳のし過ぎでそこまで上がったんだろう、思いました。体温を計っても家で計ったと同じ36,2℃くらいしかありません。救急隊の方も首をかしげているようでした。「咳が止まらく、血圧が高い患者」として、私が運ばれた病院は私の住む地域でも大きな県立の病院でした。
 真夜中の救急車は不気味で、多くの救急用具が乗っているからか、速く走っているはずなのに、動きが鈍く、また走るのも遅く感じました。わずかに開いている窓真っ暗なので、そこの病院までの道のりはわかっていても、街灯も見えず、道のりはかわかってても、少し怖かったことを覚えています。  
 救急車が病院に到着すると、ストレッチャーから降ろされるのって、ジェットコースターみたいな、内臓が持ち上がるような、感覚なんだろうか?って呑気なことを感がえる余裕もありましたが、そんなこともなく、丁寧に下ろされ、救急病棟に連れていかれました。運が良かったのは、患者はその時、私一人だけだったということでした。そのため、詰めていたお医者さんや看護師さん、全員が私のことを看てくれました。
 息苦しさは止んでましたが、どうして、こういう体調になったのかと、私が説明しなければいけないのかと、思うと、ある程度年を取ってからの独身って大変だ、と思い知らされました。しゃべっている途中からまた咳が酷い咳が出てきて、酸素吸入器を鼻に差し込まれましたが、それでも苦しかったです。
 また採血をすると、私の血がまるで、「ヨーグルト」のようにドロドロに固まっていて、注射器からまた他の容器に移すのが大変そうで、その血が私の心臓で流れると思うとゾッとしました。また体温を測るとだいたい36,3℃くらいです。救急車の中で計った時とほぼ同じくらいでした。
 「動悸はどうして起きたんでしょうかね?」と聞かれても、私は「進撃の巨人が楽しみ過ぎて…」とはもちろん、言えず、「突然起きた」と伝えることにしました。それは今でも隠しています。医学的に関係あるのかも、ちろんわかりません。
 それから、何か持病はないかとも聞かれ「甲状腺機能亢進症を自己判断で治療を止めた」とも伝え話していると、また酷い咳で嘔吐する程でした。鼻に差し込む酸素吸入では苦しさが取れないとのことで、「高濃度酸素マスク」をいうマスクに代えられました。その形は水中に潜るダイバーの顔を隠すような透明なプラスチック型に口に入れる吸入器もついていて、まさにダイビング仕様でした。
 第一印象は「ビニール臭い」でした。口に装着した感覚は今でも覚えていて、透明なプラスチックのカバーから見えた電気の明かりはまるで、溺れている私を引き上げてくれてる感覚でした。それで、もしここで死ぬのなら「絶対に作家になってやる!」って誓ったのですが、あれから特に応募もすることはさず、時々書いてるだけの日々です…。
 そのマスクの効果は抜群で一呼吸するたび、肺の中が空気で満たされる感覚がわかりました。「よかった、生きてる!」という感覚で満たされました。そのとき、もう一度、体温を計ると、38,9℃まで突然上がっていました。お医者さんも看護師さんもビックリしていました。どうやら、私の体調の悪さのピークは救急治療室で迎えたようでした。でも意識ははっきりしています。お医者さんからは「肺から『ぽちゃん、ぽちゃん』と水音がする」と言われ、そのときの看護師さんの慌てっぷりも覚えてるくらいです。あとから知ったのですが、肺に水が溜まったら命に係わると…。
 即、入院が決まりました…。着ていた部屋着を脱がされ、病衣に着替えさせられました。しばらく、救急隊員の方が私の様子を伺いながら何かを書いていたのですが、終始、首をかしげていました。あまり見ない症状だったかもしれません。
 私はてっきり肺炎だと思っていたので、高濃度酸素マスクはビニール臭ささを感じなくなると、天にも昇るような、と言ったら大げさですが、まさにそんな感じです。ずっとそれを装着していると「癖のようになってしまい、取れなくなってしまう」と説明され、普通の口からの酸素マスクに代わりました。
 残念だな、って思っていたら、もう自分でも普通の酸素マスクでも呼吸がしやすいと感じるんほどに回復してる、と感じました。別に入院しなくてもいいんじゃない? 大げさな! と、その時も思っていました。
 私以外の患者さんが運ばれてくると、お医者さんや看護師さんはそこへ向かい、私は点滴をされながら、様子を診に来る看護師さんが電子カルテで何かを入力して、また新たな患者さんのところに向かう、ということの繰り返しでした。気が付くと朝になっていました。
 午前9時頃でしょうか。救急治療室から入院待機室に移されました。すぐに呼べる身内に連絡して欲しいと言われ、私は姉、兄、義姉(兄の奥さん)の3人しか浮かびませんでした。そう伝えると、3人に電話するようにと言われ、義姉が最初に電話に出てくれました。
 実は入院して…と説明すると、すぐに来てくれると言ってくれました。本当に嬉しくて涙が出る程でした。本当は子供たちのサッカーの応援に行く予定だったけど、それを他の保護者の方にまかせたそうです。なんだか申し訳ない気がしてなりませんでした。
 スマホを見るとバッテリーが残量があり、ツイッターに救急車で運ばれました! って明るくツイートすると、大丈夫ですか?と即、返事を下さる方もいて、安心させられました。実際に会ったこともないのに心配して下さる方もいるなんて。ツイッター上でも長い付き合いの方だったので、お返事を下さったのだと思います。
 義姉の到着は遅くて、でもせっかく来てくれるので、何にも私からは言えません。昼近くになると、私の名前が呼ばれ、身内の方が来ている、とのことでした。もちろん、義姉です。私の顔を見て驚いていたのは、酸素マスクだけじゃなくて、今覚えば顔色がかなり悪かったようです。
 大変だったね、どうしたの? と世間話をしながら、差し入れのパンをかじり、ミネラルウォーターを飲もうとしたときでした。看護師さんが飛んできて「食事はまだです!症状が原因不明でもあるし『結構、危なかったんですよ!!』」と半ば叫ぶじゃありませんか。私には「危なかったですよぉぉぉぉ」と、小さな『ぉ』が余韻のように聴こえたようでした。
 そしてその看護師さんが大きな紙に何かを書き出して私の背後に貼り出しました。それデカデカと『絶食』の二文字でした。そんなに悪いのか? 意識ははっきりしてるのに、と思うと同時に意識がありながら命を落とすことがあることを実感しました。
 時間はお昼の12時になっていました。進撃の巨人の配信時刻に私『ICU』に入ることになり、もちろん、「『ICU』に入ることになりました」とツイートも欠かさずしていました。
 

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