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お遍路ウォーキング日記(240:七十九番天皇寺へ ④)

【2024年9月1日(日曜日) Day 240】

 今日も外には出られず一歩も歩いてないことになっている。

 今日で日記も240日目、ざっと8ヶ月近くも経っている。札所は七十八番まで打ってまだあと十ヶ寺残っている。この日記もそろそろ佳境と云いたいところだが全然ドラマチックでも何でもない。

 今日は巡礼に関して思うところを書いてみたいと思う。

この日記の25日目に遍路の道具について書いた際に蝋燭と線香の話をした。

 巡礼で札所を打つときにはそれなりのマナーと手順があると書いたように思うが、一礼に始まりお清め、鐘撞きの次に灯明がある。蝋燭に火を灯して燭台に立てる。

 その燭台には必ずこう書いてある

「燈明は上から」

 これは燭台が数段になっていて、蝋燭を下の段の方に立てると後から蝋燭を立てる人が熱くなる。想像しても容易なことだと思う。そしてたいてい燭台はやや高めの所にあるので下の段の方が蝋燭を立てるときは楽だ。

札所の燭台、これは回転式で火傷しやすい

写真を見ればすぐわかると思うが、三段中下の段にばかり蝋燭があったら火傷しないように気を付けるだろう。

 しかし何処の札所にも「燈明は上から」とシールが貼られている。これはかれこれ20年くらい前に「光巡拝団」という人達がどうやら各札所に貼ったようだがよく見ると蝋燭は下段にたしかに多い。

 燭台に蝋燭がたくさん立てられているのは直前に団体お遍路様ご一行が来ていたと見てまず間違いない。それだけの多さの蝋燭がほぼ同じ時間に立てられているのだから立てた人間も多かったことは容易にわかる。

 この団体お遍路様ご一行はガイドである先達によってマナーの良いお遍路様となるか、マナーのなっていない連中へとなるかが決まる。燭台が全ての段でいっぱいになっている時以外は燈明のマナーを教えてもらっていない可能性が高い。

 この他にも線香立てには「お焼香は真ん中から」
と書かれている。

線香立て、真ん中に線香がある理由は見ればわかると思う

 線香を真ん中から立てるのはもし端から立てたら後の人が線香を立てにくくなるからだ。こうして蝋燭、線香の立て方は他の人のことを考えて立てましょうと云うこと。自分だけの札所ではないのだから他の人達も気持ち良く蝋燭や線香が立てられるようにちょっとした気遣いができるといいなとおもう。

 そんなことは当たり前のことと思っていてもそう思ってもいない者は案外多い。自分だけでもまずはそうならないように心がけたい。

 自分はこの蝋燭や線香と読経の時の立ち位置に関しては結構他の人にもこうしてくださいと言ってしまう方だ。大抵は団体お遍路さんご一行であって、そう言う人達は先達様からしか何も教わらない。先達様がユルユルな場合は誰かが言わなければいつまでも学習できないケースが多い。

 なんでこの様なことを敢えて書いたか、それは何度となく燭台で火傷をしたことがあるからだ。

 頼むからさ、マナーくらい弁えてくれよと云うのがホンネである■

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